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井上靖全集 第6巻B

北国の春・・香貫二郎と正枝夫妻の二十五年ぶりの旅行の話。余談であるがこのような話を長く読んでいると(戦中、戦後の話)、最近2007年7月29日の参院選まえ、何か日本が政治、経済、文化、また地球温暖化等で大きく変化する時代に直面している気がする。 いつの時代も、過ってはよかった、今の時代は酷すぎる、そう老人たちが言っているのを知っている。しかし、今は掛け値なしに悪い時代に突入している気がする。コンナのんびりした話を読んでいていいのか? そんな気がするが、政治家ではないのでじっくり世間を観察するのもいいことだろう。焦らず、悲観せず、世間のいい所を見ていこう。
 どの作品でも同じように若い頃は一日も休まず、家庭の事は妻にまかせ、企業戦士として働き詰めの人生を送っている、社長や重役が主人公になる場合が非常に多い。この作品も会社、会社でやってきた社長がやっと、一息ついて会長職についた頃の話である。
 香貫二郎夫妻が北陸地方を旅するうちに、ふと、彼が学生時代に親友であった、高森が町長をやっている町があることを思い出し、突然彼に会いに行こうとしている。

高森と彼は学生時代に一人の女性をめぐって恋の争いをした。しかし、特別なこともなく二人とも卒業していった。しかし高森は内務省に就職するやすぐに彼女と結婚した。彼には突然の出来事であった。かれは民間に就職したがこのことは彼にとって、激しいショックであった。謂わば人生の最初に於いて嘗めた失恋の痛手は、その後形を変えて彼の一生を支配したと言える。それは夫人への恨みとはならず、専ら高森への敵愾心となって現れた。進んでいく方向はまったく異なっていたが、香貫は高森に負けまいと思った。仕事の鬼と言われる彼を作り上げるのに、決して無関係ではなかった。
 高森に対する敵愾心は局長を最後として、官界から引退して、政界にも、実業界にも出ることなく、そのまま郷里に引っ込んだという彼の噂が入るまで続いた。だから現在の香貫の心境は勝者と敗者という関係ではなく、昔の友達に返っていた。

 旅の途中思い出して、妻を旅館に残しひとりで高森の家に訪ねていった。家に上がると三男という子供が火鉢を持って部屋にやって来た。長男、次男はもう家を出ているという。さらに長女と次女がウイスキーとグラスをもって現れた。合計五人もの子供をあの彼女が生むとは思いも依らなかった。そして、夫人が茶盆を持って現れた。ひどくほっそりとした五十年配の女性である。「家内です」「香貫です」と挨拶しながら、これは違うと思った。
若い日の自分の心に爪跡を残したあの女性とは違っていた。似ても似つかぬ女性であった。
「前の夫人はどうしたの」「前の夫人って」・・結婚の翌年の春、悪性の風邪ということで亡くなってしまった。不意に香貫は身内から何か大きなものが音を立てて崩れていくような気がした。何となく体の支えが欲しい気持ちで、あたりを見回した。確かに何物かが崩れつつあった。[注:ごめんなさい、同じような表現を多くの作品で井上氏がしているのでなく、筆者がそのような作品を選んでいるのかもしれない] 勿論夫人が亡くなったことに対する衝撃ではなかった。高森を憎み、高森と競争をしていた頃、いつも高森の背後のその夫人がいることを意識していた。しかし、今にして思えば、それはまったく架空のものであった。夫人の亡いことを知っていたら、長い歳月の間、自分は決してあのような敵意も抱かなかったであろうし、敵愾心も燃やさなかったであろう。くたくたに疲れて、宿に帰ってきた香貫は上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、妻の正枝に一部始終を話し、椅子に腰を下ろした。それから女中が運んできたお茶を飲んだ。小さい中庭には、やはり春の闇が立ち籠めていた。
 「私、初めて昔の恋人に嫉妬したわ」そう正枝は言った。「どうして」「だって、そうでしょう、その方、いつまでも若いんですもの」 なるほど、それに違いないと香貫は思った。
狼災記・・前出(ここに取り上げていない作品)の「洪水」では西域ものであるが、後漢献帝の時代、策勱(さくばい)という将軍が西域派遣軍としてこの地にやって来た。「洪水」ではアシャ族の女が出てくる。しかしここで取り上げる狼災記では、将軍の名は蒙恬(もうてん)そして戦死の後に陸沈康が派遣されてくる。天子は始皇帝である。匈奴の進入を防ぐ為にはどうしても、この地を見捨てる訳にはいかない。強敵、匈奴は油断すればいつの時代でも中国大陸を北から責め降りてくる。敗北という言葉の語源はこの匈奴に負けることを意味するから、北という字が入っていると聞いた事がある。それほどの仇敵である。そしてこの作品でも将軍、陸沈康はカレ族の女を知ることになる。どの作品でもそうであるが、井上作品はその描写の巧みさから映画化されるものが非常に多い。人気作家の原因はここにもあると思う。
 陸沈康の部隊がカレ族の部落に入っていくのは勿論のこと、近づいていくのも初めてであった。カレ族の部族はこの地に散らばっている部落の中でも最も卑しい特殊なものとされていた。他部族との接触はまったくなく、男たちは牧畜、女たちは農耕に従事していた。男は口辺に入墨し、女は茶色の縮れた髪を束ねて背後の長く垂らしていた。特殊と言われる所以は部族全員死臭がすると言われていたからである。そして全軍がこのカレ族の部落で留まることを余儀なくされた。雪が猛烈に積もった為である。
 陸沈康は勿論一人で部屋に泊まるわけであるが、彼は部屋に入るなりいきなり片隅に槍を衝き付け、「出ろ」と叫んだ。そこから女が出てきた。陸沈康は女の上着を掴んで炉辺へ引き立ててきた。陸が声を発する前に女が口を開いた。「汝は既に死んでしまっている私をもう一度殺そうとするのか」「汝はなぜ隠れていたのか?」陸が聞いた。「隠れていたのではない。この家から離れるのを好まなかったのだ。私の夫はこの秋に死んだ。夫の霊が眠っているこの家以外では眠ることが出来ない」女はまだ若かった。二十歳を幾つも越してはいないに違いない。眼はこの部族特有の猜疑深い鋭い光を湛えていた。「死者に用はない、汝の寝所に戻れ」「私は出ていく」「出ていくとはどういうことか、この寒さでは死ぬということだぞ」
 陸沈康は女の顔を鋭く見守っていたが、全く思いがけず、この時ふいに陸は相手に女として挑まれていると感じた。長い間女というものを忘れていた陸沈康は、ふいにわれに返ったような気持ちで、今自分の前に立っている若い女の顔を見守った。激しく抵抗したが、寝所の枯蘆の上に体を投げ出されると、あとは諦めたのか、死んだように無抵抗になって、陸の為すがままになった。女の死臭のような臭いは部屋中に漂っていた。
 カレ族の言い伝えによると、昔から他部族の者と七夜契ると、けだものになる、と言われていた。そして、六夜が過ぎた日、陸は全軍をこの部落から出発させた。まだ雪が深く行軍は困難であった。早く都に到着しなければならなかったが豪雪のために隣の部落にたどり着くのがやっとであった。この夜陸は置いてきた女のことがどうしても忘れられず、陸ただ一人雪の中を引き返していった。・・・・・。
 高祖の七年、秦が滅びてから六年、陸沈康が行方不明になってから十年の歳月が過ぎた。
そしてまたこの西域の地に新しい派遣軍がやってきた。将軍は張安良である。かれは陸沈康の部下で信頼関係のある兵士であった。この部隊が宿営する夜、二匹の狼の遠吠えを聞いた。そのようなある夜、張安良は狼の口から懐かしい陸沈康の声を聞いた。まさしく陸の声であった。俺はお前をかみ殺さなくてはならない、だから汝は俺を切れ、身を低くするなかれ。身を低くしたら俺たちの勝ちになる。こう、その狼は告げた。張安良は鎧をつけ、刀を構えて二匹の狼の前に立った。しかし雄の狼は張ののど下に鋭い牙を立て、雌の狼は張の大股に喰らいついて離れなかった。この事件以降、漢室は次のような布告を出した。 近年、狼災のこと頻々たり、境外にあるものは宜しく腹帯を締める労を怠ることなかれ。・・狼の襲撃とこの腹帯の関係は今に至っても不明である。

井上靖全集 第6巻C

考える人・・新聞記者である私が、三重県南部の漁村に出かけたのは、女性名前の付いた台風が吹き荒れたその後の地方災害を夕刊に書く為であった。そして、この仕事とは無関係な事ではあるが、偶然本物の木乃伊(みいら)と対面することになった。私が新聞記者だと知って、ある男が部屋に訪ねてきた。目的はコウカイさんの宣伝チラシを書いて欲しい、というものであった。「一体、コウカイさんって何ですか」「何ですかって、あんた、まだ知らんかいな。玄関入って来るとき、見なさりなんだか。木乃伊(みいら)が置いてあろうがの。即身仏といってな、コウカイ上人さまは五穀断ち、十穀断ちして、われとわが身を仏さまになされた方じゃ。わしはコウカイさんを連れて、方々回り歩きまわっておるが、少しでもご利益にあやかろうという人が押しかけ、大変なもんじゃ。」 しかしこちとらが書いた文では、爺さま婆さまも、なあんだという事で帰っちまうが、ということであった。・・・。「一体、コウカイ上人とはどのような字を書くのかね」「さあね、後悔するこうかいかも知れん」「名前は別にして、大体どんな事を書くんですか」「わしの知っている事といえば、生まれは湯殿山付近、若いときに人を殺めて、それをきっかけに出羽三山の一つ湯殿山にある大きな山伏の寺に入って出家した。そしていろいろ世の為、人のために尽くし、六十二歳で入定なさった。そしてミイラになんなすった。」このようなことに知識のない私はこれだけでは、チラシの文章は書けないというと、妙にあっさりと、「いや結構じゃ、やはりこのような事は坊主に頼まんと、新聞記者ではあかんか。」 そう言うと、お疲れのところをどうも、と言って帰っていった。

 私が二度目のミイラを見たのは、コウカイ上人の出来事から十三、四年経過した昨年の事であった。WやN大学の学者たちとM新聞社がミイラ学術調査団を組織し、そこに希望があれば、参加できるという機会を得たときである。口を聞いてくれたのは、学芸部記者の松谷であった。私がこの催しに参加したいと思ったのは、過っての漁村の旅館で対面したコウカイ上人というミイラのことが、記憶にあったからである。ミイラと言うと、すぐエジプトを思い出し、日本にそれほどミイラが存在するとは思っていなかったが松谷によると、藤原三代のミイラの他にも、沢山のミイラが現存しているし、その多くがほとんど東北地方に集中しているとの事。(注:読者である筆者はこのような事は一応歴史上の事実であると思っている。そうでないとあまり面白くないしまた全てフィクションであっても何も問題ないから)
私は過って経験したコウカイさんの事を松谷に聞いて見た。恐らくそれは本当のことでしょう。生まれは湯殿山であるし、コウカイさんとはカイは海でしょう。恐らく弘海上人というのでしょう、と言った。なぜなら湯殿山の修験者には皆、海が着いているそうである。私はこの学術調査団で、酒田では忠海上人や円明海上人のミイラにも対面した。どちらのミイラも多少前屈みになり手は合掌している形を取っていた。しかしコウカイさんは少し前屈みの姿勢で椅子に腰掛けていた。そしてそれはロダンの考える人と同じ姿勢である事をはっきり覚えていた。私は参加した大学の先生にこれらのミイラが如何なる生涯を送った人たちであるのか聞いてみた。そのほとんどが砂利人夫とか、貧農の倅とか、土方とか、そうした下層の出であって、しかも、殺人や傷害の犯罪者が多いとのことである。彼らは例外なく罪を犯した後湯殿山の本山である大日坊か、その中心道場である注連寺に逃げ込み、そこで出家することに依って、逮捕を免れ、その後修験の低い身分である行人となり、修行三昧の生活に入っていた。その内の何人かは道路の改修やトンネルの掘削などの社会事業に心身を投入し、世間の信望と尊敬を集めていた。それから六十二歳の釈迦入定の年齢を以って、己の入定の年を定め、数年ないし数十年を費やし木食修業へと入っていくのである。またそのミイラは死後硬直の前に人の手に依って、仏に相応しい形に整えられるのだそうである。・・・・・・・・・
学術調査団の調査があった数年後、前回調査を拒否していたお寺が、その後調査を受け入れ、ミイラが無事掘り出された、という情報を得て松谷と他に二名、全員四名でその寺へ見学に行った。しかし残念なことに、そのミイラは同じように、前屈みで合掌する姿勢であった。その帰り道にT村を通過した。その村に入ると、私は自分でも理解しがたい感動に襲われた。あの興行師が言っていた、雪深い湯殿山の麓の部落で生まれたという弘海上人の話が何故か、この部落であるという確信を私に与えていた。わたしは恰も真実であるかのように、同乗している三人に対して話をしていた。「どうですかね?」「いえ、いまTという部落の名前を聞いて、確かあの興行師がそう口にしていました」私は何がなんでもここが、弘海上人の生まれ故郷にしたかった。「いつ頃のひとですか?」「文化文政の時代の人です」「なるほど、あの頃は猛烈な飢饉で、しかも重税で苦しんでいた。十八歳のとき、若い弘海坊は祭りの時、酒に酔って喧嘩し、相手を殺してしまった。」私はここまで話したが後が続かなくなった。「これだけ!」そう言うと、同乗者の松谷が口を開いた。弘海坊はすぐに、注連寺に逃げ込み、行人となった。しかしここでは弘海坊はうだつが上がらなかった。
そして、彼はミイラになる事を宣言した。ミイラになる事は命をかけることで、周囲の人々の目は変わっていった。彼は十年の木食をやって入定すると言い切ったがこれだと四十歳で入定しなければならなかった。もう遅い、今から取り消す事は出来ない。そんな話しに運転手は笑った。しかし同乗四人は誰も笑わなかった。「もうやめておきましょう」そう松谷は言った。昨年の調査団に参加していた歌人の丸根高之という同乗者の一人が今度は口を開いた。弘海坊の生涯の続きを話してもいいですか?と言った。松谷さんの話しでは弘海坊には到底我慢出来ないでしょう。ですから彼は木食修行をやる前に、難所に道路を開こうとした。これならどんなに大変な仕事でも命は大丈夫でしょうから。そして石を砕き、細かくして道に撒き道路を開いた。そしてトンネルも作った。どんなに激しい作業をしても、それが完成すると木食修行が待っている。気がついた時彼はさらに人々から尊敬される大上人になっていた。最早、木食修行を避ける事はできなかった。今度はこれをやめる事は出来ず、とうとう六十歳で入定した。「これでどうですか」丸根は言った。「不自然ですか」「いや、不自然ではないだろう。ごく自然にそうなったのだから」最後に残りの一人、高校の教師である白戸が言った。入定する少し前のことを話します。弘海坊は仏になれるかもしれない、という気持ちがやって来た。仏になって、自分の生まれたT村の人々のような貧しく、暗い不幸な人々をあるいは救えるかもしれない、そう思った。そして息絶えた。息絶えた時は、枯骸生けるが如くであった。終り。「こんな話でいいですか」けれど、これは貴方が締めくくるべきでしょう。私はこれでいいと言った。・・・・・・・・・・・・・
しかし、本当はこのような気持ちもあった。弘海上人は入定したが、誰にも彼の姿勢を直すことが出来なかった。それだから、入定してから三年経っても、誰も地上に掘り出す事は出来なかった。そして、そのミイラが日の目を見るのは皮肉にも更に三年経った、大飢饉の年であった。百姓たちは飢えていたので、どこでも作物の取れるところは掘り起こした。当然、弘海上人は掘り起こされた。ミイラになってからも、彼は考え続けたその姿勢のままで。ミイラにならなければ生きられなかった自分を、生きているときと同じように考えていたのだ。六根清浄、六根清浄。白戸が大声で歌うのを聞いた。

井上靖全集 第6巻

井上 靖全集 第6巻
神かくし、ある交友、故里の海、梅林、ハムちゃんの正月、とんぼ、凍れる木、
洪水、面、冬の来る日、街角、馬とばし、春の入江、北国の春、狼災記、考える人、補陀落渡海記、海の欠片、ローマの宿、小磐梯、訪問者、晴着、岩の上、
菊、故里美し、色のある闇、フライイング、加芽子の結婚、古い文字、裸の梢、
夏の焔、明るい海、見合いの日、別れ、明妃曲、あかね雲、僧伽羅国縁起、土の絵、監視者、塔二と弥三、ローヌ川、富士の見える日、冬の月、眼

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

街角(子供たち)・・お見合いを四回か五回経験した、中年に近づいている女性の話である。
 世間慣れというか見合いなれというか、その日も朝は九時まで寝ていて、母親から「変な子! お見合いの日というと、決まって寝坊するんだから」と言われてしまう。しかし、とき子は何も格好つけているのではなく、見合いの時間は二時であるから貴重な日曜日を存分寝て居たいだけである。美容院に行くためバス停に行くと、そこで思いもかけず中越幹也に出会ってしまった。中越は六年前とほとんど変わっていなかった。違っているのは彼が、二、三歳の幼児を抱き、双子と思われる五、六歳の女の子二人を連れていることだった。まさか三人もの子供の父親になっていようとは、今のいままで知らなかったことだ。

 とき子は何回かの見合いに対して、それぞれ仲に立つ人をわずらわせ、その度に家の内部も何かとざわめいていた。だからいくらとき子でもひやかしの気持ちで見合いをしているはずもなく、だがしかし、自分の心の内側を探ってみると、いつの見合いの時でもやがて行われるその未知の男性との対面が、決して自分のこれからの人生を決定するものではない、という気持ちの動きがあることは事実であった。

 中越は以前のように、櫛を入れない無造作なオールバックの頭髪も、五尺八寸の長身も、雰囲気として姿態の持っている、どこか鶴を思わせるような弧高な感じも、六年前とき子が親しくしていた頃と少しも違っていなかった。しかし、彼の妻らしい女性の姿は見えなかった。後からの話で、当日妻は同窓会出席の為三人の子供を彼に預けていたという話であった。・・・この双子の姉妹は元気がよく、父親の言うことを少しも聞かず、あっという間に一人の子が行方不明、迷子になってしまった。かれは慌てて抱いている幼児と一人の娘をとき子に預け、街中を、娘を探しに奔走することになる。

 ドタバタ騒ぎは交番のお巡りさんも巻き込み、大騒動に発展。無事娘が発見された時は十二時近くなっていた。「では、私はこれで失礼します」「そうですか、大変いろいろお世話になりました。」 とき子はセットを諦めて、すぐ帰る為に少し行ったところで空のタクシーの来るのを待った。とき子は何物かが自分から落ちるのを感じていた。長年自分の身についていて、自分から離れなかったものが、中越と再会したことによって、自分から落ちた気持ちだった。美容院に行かないでこのまま家に帰ったら、母が心配するだろうと思われたが、そんなことよりとき子の気持ちは妙に明るく膨らんでいた。すっきりした思いだった。とき子は美容院に行かない自分の顔を、見合いする相手に見せようと思った。その上で自分も気に入り、相手も気にいれば話をまとめてもいいという気になった。今までの見合いの時とは、今のとき子の気持ちはまるで違っていた。・・・・・・・・・

結婚前の女性の心理をよく表している。何と言うものでない、微妙な心の襞というものだろうか?言葉でなくストーリーで表現している。内容の説明が長くなっているが、ここまで書かなくては、充分伝わらない。やはり彼女に取り付いている何物かはこのストーリーの中にあって、そこで初めて意味のある言葉になる。蛇足の蛇足であるが、靖先生は大胆に、こう書いている。とき子は中越が抱いている幼児に対して、「可愛らしいわ」「ええ、二つです」それから「こちらも?」「ええ、双子でして」「双子とは可愛いものですよ」・・いい気なものだ。六年ぶりに合った昔の恋人に、娘の自慢をしている。中越の腕の中で幼児はエビのように体を反らし、余り可愛いとは言えない。また足元に眼を落とすと、この双子の姉妹も可愛いとは言えない。中越に似ていたら、目鼻立ちが整っていなければならないはずだ。鼻は低く、眼は少し釣りあがり気味で、唇もむくれており、顎も張っている。
ここまで書かなくとも。子供なんだから。しかしこうまで書かなくては、何ものかは分からない。昔の恋人が、所帯じみた様子で自分の前に立っている。子煩悩の父親を演じている。あの孤高な、ストイックな男が何さ。でも自分が好きになった男を余り卑下したくない。そこであの双子の娘の顔は嫁さんの顔だ!と決め付ける。もう本当にどうしようもない。これなら何物かは落ちるはずだ。元々結婚はタイミングと言うネ。二人の相性などでなく、今二人がどんな精神状態にあるのか、が大事。もっと言うとどれだけ現実的になれるのか。若い頃の夢の実現でなく、自分のような者(小さい自分)にとって、相手がはたして応じてくれるのか、と悟ることから始まるのが結婚だ。

又話がずれるけれど、最近の結婚情況は厳しいらしいですね。どんどん晩婚化しているけど、当然の気がする。我々が若いときは、「由美かおる」の同棲時代(?)という映画
が流行したのはそれが珍しいからで、今のように当然行われているような時代では結婚の予行演習をやっているようなものだ。たしかにそれは都合のいいことで、同棲しなくては分からない事も沢山ある。だから自分の経歴を複雑にしないためには良いことかもしれないけど、別れ易くなり余り我慢する必要もなくなってしまった。前述のように結婚などタイミングだと喝破した人は、また簡単にホームインが上手くいく状況が廻ってくるという訳だ。ここまでは老人の繰言。

井上靖 全集 第5巻

井上 靖全集 第5巻
俘囚、ダムの春、川の話、真田軍記、颱風見舞、夏の雲、ざくろの花、初代権兵衛、紅白の餅、梅、明日来る人、その人の名は言えない、どうぞお先に、火の燃える海、蘆、暗い舞踏会、レモンと蜂蜜、夏草、高嶺の花、弧猿、波の音、
司戸若雄年譜、ある関係、ある旅行、良夜、犬坊狂乱、トランプ占い、佐治与
九郎覚書、屋上、高天神城、四つの面、夏の終り、ある女の死、別れの旅、冬
の外套、ボタン、奇妙な夜、満月、花のある岩場、幽鬼、青葉の旅、楼蘭、川村権七逐電、平蜘蛛の釜、一年契約、
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真田軍記・・真田家に関する四つの物語が綴られている。海野能登守自刃、本多忠勝の女(おんな)
むしろの差物、真田影武者 の四つである。それぞれの作品が淡々と作り物のような派手なストーリーでなく、井上作品らしい上品さで仕上がっている。
屋上・・・十ページの小品であるが、気がかりな作品。胃潰瘍で入院している主人公は四十の半ばを超えた会社経営者である。手術は簡単にすんだが、術後の経過が余りよくない。
よくない原因は、肝臓や腎臓に故障があるらしかった。長い退屈な時間を窓の外に向けることが多く、向かいの建物の屋上がよく見えた。色々な人が屋上に来て、様々な時間の使い方をしている人たちの中で、中年の男性(55,56歳くらい)と若い女性(22,23歳くらい)の一組が名代の眼にとまった。それは多くの人は毎日違っていたが、この一組は毎日決まった時間にやってきて、小一時間過ごしていくからである。男は屋上の真ん中に来ると、そこでやや両足を開き加減に立ち、手を回し足を折り体操を始める。その後ティーショットの練習を始める。そこで気持ちよくクラブを振り、ボールを屋上のネットにぶつける。若い女はさっとしゃがみ込み、恐らく男のためにゴルフボールを置く作業をしているものと思われる。別に何でもない、どこのゴルフ場でも見かける景色である。しかし病人である名代にとって、何か分からないがそこから目を離すことが出来ないような明るい、満ち足りたものがあった。一人の太った五十男と若い女との間に演じられる単調な無言劇の中に、幸福と言われるものから夾雑物を取り去ってしまったらこんな風になるのではないかと思われるような、羨望に値する何物かがあったからである。飽きもせずクラブを振り上げたり、振り下ろしたりしている。そしてその横で女はまた飽きもしないで次々に球を所定の位置に置いていく。それこそ面白くない単調な作業を繰り返している。そんな女の姿は名代にとって、あるときは可憐に、あるときは凛々しく見えた。また男の足元に次々にボールを差し出す女の動作は、いかにも男の練習を傍らで心から親身になって見守っているとしか思われないものを身に着けている。それは丁度主人に忠誠を誓っている犬の持っている素直さに似ている。
 このビルの屋上の無言劇を見守ることが名代の日課になっていた。そんな夫の様子を妻の奈々子は冷ややかに見ていた。名代はある日、妻に対してこの男女が主人と使用人か父親と娘であるか、どちらであると思うか聞いてみた。すると、即座に他人ですよ!と答えた。余りの自信に対して、どうしてか?と聞くと、「私見たのよ、雨のすごく降る日二人は接吻していたのを」 そうか現場を見られては仕方ないな、と私は答えた。
 そんな時の別の日、病院の中が妙に騒がしかった。沢山の子どもたちが廊下を走り回り、奇妙な声を発していた。「幸福そうですネ、ひどく」そう考えもなく婦長に言うと、はたして非難するように「聾唖学校の生徒が、病院見学に来ているんです」と言った。
名代は聴覚障害の子供たちがいかにはしゃぎ回り、その情景がいかに幸せそうであったとしても、それを迂闊にも幸福と言う言葉で表現した自分を婦長に対して恥じたが、そう口走るようなものを、この時の子供たちは持っていた。
名代はこの時、自分にまったく違った二つのものを似通って見せたものは、その幸福感の持つ、いわば純粋度とでも言ったようなものではないか、と思った。そして障害のある少年たちがそうであるように、屋上の一組の男女もあるいはひどく不幸な立場にあるのではないか、という気がした。少年たちがあのように輝いていたのは、彼らが自分たちが持っている不幸をあの瞬間忘れ去っていたのに違いなかった。それと同じような考えをすれば、あの一組の男女もゴルフをやることに依って、自分たちが持っている不幸なものをたとえ短い時間だけにせよ、もののみごとに忘れ去っていたのかも知れなかった。


ある女の死strong>・・私がお美津さんに会ったのは、小学校三年生の夏であった。私は長野から少し離れた農村で酒作りを業としている叔父の家に預けられ、そこから小学校に通わされた。ある日若い女が菓子折りを持ってやって来た。それがお美津さんであることは、すぐに分かった。村では若いおメカケさんがやって来る噂がたっていたからである。このメカケという言葉は子供たちも知っていたが、具体的には何も分からず、悪い意味しか知らなかった。「それー、メカケが来たぞ!」そう言って子供たちは街道や田んぼの中にいても、どこまでも、どこまでも追いかけられるように逃げ出した。
 メカケはどうやら鬼に似た形相を持ち、鬼よりも怖くわないが、もっと陰険で、もっと悪い生き物であると考えられていた。しかし、実際のお美津さんは若く、美しい顔をしていた。あんな美しい顔をした人が恐ろしいメカケだろうかと子供たちは不思議に思った。
お美津さんはどうやら家の裏手にある土蔵に住んでいるようであった。そこで最初にあった話しになるのであるが、菓子折りを持って、引越し祝いの品物を我が家に持ってきたのである。おメカケさんの噂はほどなく下火になっていった。秋には僕たちは土蔵の前で、メンコや石蹴りをして遊ぶようになった。そんな時お美津さんは土蔵から出てきて、そんな僕たちをよく見ていた。
 彼女の旦那は土建業をやっていたが、ほとんど村には姿を見せなかった。だから、村では旦那は監獄に入っている、と噂していた。若く美しいおメカケさんと小学校三年生の僕とのチョッとズレのある交流が始まった。・・そして遂に旦那が村にやって来た。・・旦那がやって来ても、僕とお美津さんとの交流は続いた。そんな楽しい話が続くのであるが、感想文であるから、一挙に終盤まで話しを進めてしまおう。・・・・・・・
 この頃、僕らはすっかりお美津さんにもなれ、土蔵生活を見ることにも慣れてしまった。
ある日のこと、黙って土蔵の中に入っていくと、二つの肉体がからみ合いながら、お互いを罵り合っているような気がした。やがてお美津さんは「馬鹿!」と言いながら立ち上がってランプを灯した。髪は乱れ着物ははだけていた。「坊や!ちょうどいい時に来たわ、
証人になって頂戴」「僕帰る」「ダメ、小母ちゃんを守って頂戴」「小父さんは意思薄弱で困るわ」「私のことまだ切れていないと分かれば、あんた、ほっぽり出されるわよ」「さー握手しましょう、それで終りにしましょうネ」「ダメ、もう指一本触らないの――指きり」
 私は土間の入り口から、雪の中を駅の方へ去っていく二人の後姿を見送った。この夜十時ごろから猛吹雪になった。・・翌日その雪に覆われた田んぼでお美津さんと旦那の新庄は凍死体で発見された。この二つの死体は2000mも離れたところで発見された。
 私は土間の入り口から、雪の中を駅の方に去っていく二人の後姿を見送った。この夜、
十時頃から猛吹雪になった。・・翌日その雪の覆われた田んぼでお美津さんと新庄の二人の凍死体が発見された。この二つの死体の間には2000mの距離があった。
村ではこの二人の凍死事件について、いろいろ噂された。合意の上での心中ではないか、お美津さんが無理心中に巻き込まれたのではないか、等であるが一般的には二人は罰が当たった、という意見が有力であった。
それから三十年が経過し、私の記憶の中でもお美津さんは遥かに遠く小さいものになっていた。そんな中、二人の死の意味が、突然私の心の中で、丁度夜空に打ち上げられた花火のような、ぱあっとある鮮明な色彩を持って定着したのは、実は最近のことであった。
 それはある登山家の本を読んでいて、リング・ヴァンデリング(環状彷徨)という言葉を知った時であった。登山家が一番警戒するのは、人間はまっすぐ歩いているつもりでも、
同じ所を中心として、環状に彷徨し易い、ということであった。これを読んだ時、いきなり本を閉じて、お美津さんと新庄のことを思い出した。お美津さんはお美津さんで、新庄は新庄で、吹雪の中を迷ったに違いない。私は新庄とお美津さんの二本の指が絡みあった上に乗せられた小さな自分の手を思い出す。しんしんと吹雪く雪の中を、それぞれの半径を持って、それぞれの方向へ廻っていたに違いない二つの愛情。
 花ある岩場・・「氷壁」のような山岳小説。場所は上高地から前穂高、奥穂高、涸沢岳、
北穂高、等である。そこに働くポッカ(登山荷物運搬人)の老人と彼が気の合う若い登山家の二人が主人公。ポッカの野本徳治は六十二歳である。最近の若い登山家は老人の徳治を無視する傾向にある。彼はのっそりした感じで、言葉も少なく、山の案内人という感じではなかった。いつか彼のニックネームは河童になっていた。頭頂部は毛髪が少なく、皿のように見えるし、手足は細くガリガリしているので、その名がついたものと思われる。
 オーイ! カッパのおっさんと呼ばれていい気はしない。しかし、そうは言っても、やはり若い人たちに気軽に呼ばれることは止むを得ない事として受け入れている。しかしその中でも、若いのに言葉遣いもキチンとしていて、徳治を対等な扱いにし、また山が本当に好きであるように見える重宗時也が好きである。徳治に言わせれば、重宗時也は、山に入ってから三十年の間、ろくでもない人間にばかり出会ってきたが、僅か十人ほどだけは大した人間がいたが、その一人に入るという。
 物語はこのポッカである徳治が山の名ガイドではないが、僅かに十人ほどの大した者たちがどんな人物であり、彼がその人たちとどんな交流を持っていたか、説明していく。その多くは大学の偉い先生で、地理の先生や植物の先生である。徳治によって彼らは山の案内や珍しい植物の発見をさせてもらっている。彼は大学の先生たちにたくさんの感謝状や感謝の手紙や葉書を大切に持っている。徳治は自分から若い人たちに進んで山の話などしないので、学生などオイ徳、などと呼び捨てして平気であるが、重宗時也は植物の名前や性質など、かなり詳しく聞いてくるので、これには丁寧に答えていて、これなど時也を好きになる原因であると思われる。
 山の美しい様子や隠されたポッカ・徳治の優秀さを説明しつつ、あの名作「氷壁」のミステリーが漂ってくる。重宗の恋人と思われた女性が最近結婚するという。徳治もいつかグループでやって来た時その女性を見ている。結婚できたら理想的なカップルであろうと老ポッカは感じていたので、今年の重宗のどこか寂しそうな様子に合点が要った。そして、独身最後の旅行として、彼女は重宗を追って山にやって来た。
 重宗、徳治、そして彼女の三人は穂高の稜線を踏むために出かけて行った。
そして、遭難、彼女の滑落死。徳治は彼女が滑落死するとき、その彼女が踏みはずした石を、そしてその前に重宗がその石を踏んでいる事も見ていた。・・・・・・・


徳治は自分の好きだった生物学者の為にシコタンハコベラとバラが咲く群生地を共に誰にも教えていなかった。そこにこの遭難した場所を加える事にした。


 楼蘭・・往時、西域には楼蘭と呼ばれる小さな国があった。この楼蘭国が東洋史上にその名を現してくるのは紀元前百二、三十年頃で、その名を消してしまうのは同じく紀元前七十七年であるから、前後僅か五十年ほどの短い期間、この楼蘭国は東洋の歴史の中に存在したことになる。今から二千年ほど前の事である。・・こんな書き出しで始まる井上靖得意の西域ものである。二十七頁になるから薄いが文庫本1冊になる、短編では長い方になる話しである。楼蘭の歴史は「歴史の教科書」のような内容で詳しくはあるが淡々と書かれていて、五十年間とはいえ、紀元前の出来事(楼蘭の歴史)が長く、長く感じられるような描写で綴られ、読み終わった時は正直長い歴史に付き合ってしまった、という実感である。日常生活のこまごまから解放され、ひと時の間歴史に遊ぶというのだろうか、歴史のロマンという言葉が、自然と脳裏に浮かんでくる作品である。

 川村権七逐電・・時代は戦国時代、豊臣秀吉が甍じた後の出来事である。川村権七は人並外れた大きな体と、同じく人並外れた大きな目玉を持っていた。そのうえ彼は無双の体力と少しの事ですぐカッとする癇癪(かんしゃく)とを持っている二百石取りの若い武士であった。容貌は魁偉で壮年に見えたが、年齢は若くまだ二十歳をどれ程も出ていなかった。この理性や上品さとは程遠い荒武者が自分で名乗りを上げたとはいえ、領主の奥方を戦場にある敵地から連れ出す役割を担ってしまった。そして唯一人、屋敷に侵入する事に成功した。
 内室は部屋へ入ると二人の女中に座を作らせ、権七の上手に座ると「権七とやら、遠路ご苦労なことでした」、「は」と平伏すると、そのまま、権七は顔を上げる事が出来なかった。自分の大きな体が小刻みに震えていて、それがどうしても止まらないのを感じていた。「権七苦しゅうない。顔をお上げ」 頭の遥か上の方から室の声がした。「は」権七は暫くして上体を起こしたが、体の震えはどうしても止まらなかった。権七は生まれてから今まで、これほど美しく、高貴な女性を自分の眼の前に見たことがなかった。権七が一言も口から言葉を出さなかったので、室は三度声を発した。「何とか、お言いや」、「は」権七はまったく上の空で言葉を口から発していた。そして、時々鈴の音のような声を耳にしていた。それはまったく鈴が鳴るとでも形容する以外に表しようがないものであった。が、そのうち、権七はふと、それが眼の前の室の笑い声であることに気付いて、はっとした。
 緊張するなか自分の任務と、どのようにしてこの屋敷に侵入出来たかを一息で言ってしまうと、権七はホッとした。「なるべくなら死にたくはありませぬ」と室は澄んだ声で言った。「それはそうでございましょう。しかし、このお屋敷にいる限り絶対に死を避ける事が出来る、とは申し上げられません。しかし、若しどうしても死ぬのがお嫌なら、権七がお供してこのお屋敷を抜けだします。その時は舟に乗るので、魚の網の下でしばらく辛抱して頂かなくてはなりません。それがお出来になりますか?」と権七は言った。「魚の臭いのする網の下に隠れる事は、おお!嫌」「ここにこうして居りましょう」・・・・・・・・・

 どうした運命のめぐり合わせか、戦場で死ぬこと以外に考えてこなかった権七に、合戦に参加できる機会はやってこなかった。そして、合戦が一段落してその行賞が行われたが、彼には充分な行賞はなかった。「なんだ、これは」権七は傍若無人な言葉を吐いた。彼は禄高のことより、大阪の地を離れ、再び室の顔を見る事が出来ないことが耐えられなかった。
そして、逐電した。・・・・・・・・・・・
十数年後、権七は旧藩主の危機的立場を知り、また戻ってくる。この時の彼の言い分はこうである。「拙者、逐電したのは禄の加増に不服があったからではない。物の怪が憑いた為である。しかし、十五年間の荒行のため、これを落とす事が出来た。」いったいその物の怪とは何かと問うと「それは仔細あって、お話する事は出来ない」ということであった。
彼の体はその右腕をまくって見せると、金火箸のように細く、しかも人間の肉体とは思えないほど硬くなっていた。領主はこれを労わり大切に扱った。そしてついには家老にまで出世して伊予の国では八千石を賜った。しかし、権七の口からはついに室のことは一言も出なかった。作者はその後の室と権七のことについて何も記載していない。

井上靖全集 第3巻

ある偽作家の生涯・・日本画家大貫桂岳伝記編纂の仕事を大貫家から委嘱され、それを引き受けてから今日まで十年近い歳月が経過しているが、未だに私はその約を果たしていない。それはまず彼の年譜に着手したのであるが、晩年の京都の豪壮な邸宅を手に入れる前は、気分の赴くままに京都市及びその近郊だけでも十箇所以上その居を変え、また一年の半分は旅で送っている状況にあり、それを記録に留めるのは難しい作業であった。


 暫くして再開することになるのは、桂岳の息子大貫卓彦氏との接触、邂逅であった。二人は気が合い、その後何遍も取材旅行に出かけている。そんな中で、数少ない桂岳自筆の資料以外に新たに物が見つかったという、和紙に細字で明治三十年から三十二年までの出来事が断片的な覚書風に記されたものを入手した。これが桂岳作品に偽作が含まれている、


あるいは偽作家が存在するという事実を知らせてくれた。やがてそれが原芳泉という人物であることを知ることになる。二人はやがて大貫桂岳よりもこの偽作家、原芳泉に関心が移っていく。彼の人生について多くの記述を省略するが、題名のように原芳泉が主人公であるからこれを省略するのは、感想文にとって(あるいは読書案内にとって)無理があるが已もう得ない。


 彼の作品(偽作)はかなり優れたのもで、二人の目に依っても容易に本物と区別出来るのもではなかった。「莫迦な奴だな、親父の偽作なんてつまらんことをしないで、自分の作品を描けばいいじゃないか!」と卓彦氏は床の間の掛軸を見ながら言った。卓彦氏の遠い記憶の中で父親が「顔を上げて俺の顔を見ろ」と誰か分からぬ人物に怒鳴っている場面が蘇ってきた。原芳泉は土下座せんばかりに頭を下げている様子であった。芳泉に金を恵んでやった事は一度や二度ではなかったらしい。


 その後の芳泉の名前を聞いたのは、昭和二十年終戦の年であった。中国山脈の尾根の所で、岡山、鳥取、広島三県の県境に近い山村であった。部落一番の大百姓で檜の一枚板をそのまま納戸との境の戸にしてある座敷で、大貫桂岳の牡丹の花の下でこちらを振り向いている狐の絵であった。この家の主人はこの絵について、「実はこの絵を描いた大貫桂岳という人の無二の親友で原芳泉という画家からの物で、彼は当地出身の人です」と理由の分からぬ含羞をおびた顔で話してくれた。


 そして三回目の再会は彼の奥さんの消息であった。彼女の話によると、最晩年は絵の仕事ではなく、若い頃やっていた花火の仕事であった。しかし素人芸で本格的な仕事ではなく、村人に頼まれると家の隅でこそこそやるような惨めな仕事であった。何をやっても器用な芳泉はそれなりに花火作りをこなしていたが、作業中に花火が爆発して三本指になってしまった。若い頃は花火に桔梗色を出したいという夢を持っていた。だからこの晩年は若しかすると、若き頃の夢の実現に情熱を傾けていたのかもしれない。ここで私と卓彦氏との長い資料収集の旅は終わるかと読者は思うかもしれない。しかし作者井上氏は更にその晩年に話を進めていく。


 最後のエピソードである。村祭りに打ち上げ花火をやることになる。彼は村の若衆に花火の打ち上げ技術を教える指導者になっていた。彼の製造技術は優れたものではないが、早打ちが得意であった。早打ちというのは、前の花火がまだ消えないうちに次の花火を打ち上げるという、連続して花火が咲くという素晴らしいものであった。早打ちのため次々に玉を筒の中にぶち込むので筒は真っ赤に焼けてしまう。彼は弟子である村の若衆四人を使い老人とは思えぬ素早さで走り回った。打ち上げた花火を自分では見ることが出来ない姿勢で同じ動作を繰り返していた。「どうだ、綺麗だったか」「見物人は随分わあわあ言っていたらしいな」そんな事を弟子たちに聞いていた。これが偽作家の最後のエピソードであった。注-1


 一人の偽作家の人生を形成する暗く冷たい一本の流れは、原芳泉という人物がどうしてもそうした生き方をしなければならなかった、持って生まれた本質的なものの、韻律というもののまったくない、考えても遣り切れないものであったが、それだけに又そこに妙な業のような悲しみもあって、人間の哀れさというものを思うとき、私には何となく痩せ形の色の浅黒い陰気な無気力な容貌を持っている人間のことを思い出されてきた。


 しかし又まったく別種な感慨に打たれた。一世を風靡した画家桂岳と自分の打ち上げた花火も見ず、観衆のどよめきに背を向け続けていた芳泉が人生の出発点において同じ地点に並んでいたということは、何という皮肉なことであろうか!この事実を知った時、私たちは初めて芳泉の生涯が暗いどろどろした芳泉という人間の持って生まれてきたものの展開ではなく、一人の天才との接触において相手の重さに打ちひしがれて、自らを摩滅した凡庸な人間の悲劇を見たように思った。今までこの一偽作家の生涯に感じていた暗い運命的な手触りは消えて、もっと人間的な悲劇の色彩を帯びて、原芳泉なる人物は私の前に現れてきたのである。


 もし原芳泉が大貫桂岳と友達でなく親しい交わりを持っていなかったら、芳泉の生涯はもっと別なものであったかも知れないと思った。明治三十年前後の時代、桂岳は雲を得て天に昇りつつある蛟竜とすれば、原芳泉はさしずめその強烈な栄光のあおりを喰らって転落していく以外になかった無力な一匹の地虫ではなかったか! 注-2


 私は芳泉描く桂岳の偽作「花鳥」と「狐」の軸が既に秋の気を充たし始めているあの中国山脈の尾根にある部落の二軒の農家の床に今も懸かっているであろうことを思い出し、いつか感じた悠久の思いが、この瞬間もまた私を捉えた。それは芳泉と桂岳に関係あることであって、しかしその二人に無関係なある一つの小さな事実を持っている生命であった。そこではもう本物も偽物もなんの意味も持たないようであった。


 


 後半部分の文章は全て省略せず、小説から取り出しじっくり繰り返し読んでみたいものである。しかし長くなるのでつぎはぎしてしまい、作者の考えを充分伝えられないと思っている。ですから是非実物を読んで本物を味わって欲しいと思います。


 


 後半の一括りした部分、注-1 の部分でこの小説を終了させる事は出来なかったのだろうか? 読者の心情では、これほど芳泉を惨めにしないで、若き日の情熱が花火の早打ちに蘇って終わりにし、偽作もまた本物の照り返しとして、それなりの芸術の特殊な分野を彩るものと解釈すれば・・・そんな気持ちが無い訳ではないが、井上氏は更に踏み込んで注-2 の部分から一気に両者を昇り竜と地虫に譬え、甘い考えの読者を驚かし、最後に人間の世界の毀誉褒貶を笑い、生み出された本物と偽者の二つに何の違いがあろう!と、その作品からくる悠久な思いに、心を遊ばせる事が出来るかどうかが大切である!と言っている。

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