Author:トップチャン
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井上 靖全集 第1巻
1995年4月20日発行 新潮社
詩篇
北国、地中海、運河、季節、遠征路、乾河道、傍観者、星欄干、拾遺詩篇
短篇
謎の女、夜靄、三原山晴天、初恋物語、紅荘の悪魔たち、霰の町、あすなろう、戦友の表情、母の手、旧友、めじろ、無声堂、ある兵隊の死、猟銃、闘牛、通夜の客。
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詩篇
詩篇とあるけれども、ほとんどがエッセイ風で特に韻を踏んでいるわけではない、散文詩というのでしょうか。私はほとんど、詩の本を買ったことがない。この年まで室生犀星と萩原朔太郎くらいだろうか。
詩を見るとその意味を考えてしまう。当然のようだが詩はその意味を解釈しないほうがいいらしい。言葉の意味を考えるのでなく、文章から何を感じるかが重要、と言われる。
若い子の作品など特に、意味がぜんぜん通じず同年代の他の子に聞けば決まって解釈しないで感じること、つまりこの詩を読んで、つまらないと思えばそれはあなたにとって、つまらない作品、でいいらしい。
むかし昭和の始め頃、「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき、・・」藤村の「初恋」や、「ふるさとは遠くにありて思うもの そして悲しくうたふもの、・・」犀星の「小景異情」や、「広瀬川白く流れたり 時されば幻想は消えうかん・・」朔太郎の「広瀬川」のように、読むだけで心地よく、意味もさわやかにあるいは激しく心にしみ込むなど、読者に共感を与えるような文句が入っている詩など、そのまま納得してしまう。
つまり要は、私には詩心がない、あるいは詩を受け入れる感性が無いせいか、これら井上靖氏の作品を読んでいても、ピンとくるものがない。しかし上記のようにかなりの量があるため、作品を早く読んでしまおう、という気持ちを捨ててゆっくり読み進めることにした.
私は今の時点で、井上作品で有名になった物の6割から7割くらいは読んでいるつもりです。しかし、ほとんど忘れてしまっているし最近のドラマ(氷壁、風林火山等)や映画(蒼き狼、・・)も作品から離れている物も多い。だから全作品を読んだ後もう一度この詩篇として集められた作品を読みなおすことも面白いと思う。
読書案内 井上靖 しろばんば〜孔子まで
私は退職し特に決まった仕事にも付かず、また凝った趣味もなく、日々漫然と暮らしている男です。年齢はと言えば団塊世代のすぐ上くらいでしょう。まだ若いつもりです。青春時代は60年安保だ!とすぐ口にするくせに、実際のデモにも参加していないクラゲ男です。
この文章を書こうと思ったのは、十年程まえから読書にある変化があったからです。それは子供たちとの話の中で、「心はどこにあるか」あるいは「心は物ではないのか」という話がきっかけで(めずらしく盛り上がった)、その方面の啓蒙書や科学本を読んだことです。多くの場合私は本屋さんに、当てもなく入り、ぼんやりと本棚を見ているのですが、この心の事を書いている本は結論があるわけではなく、なかなか解明がなされないので、逆に何時でも本屋さんで探すべき本がある、つまり目的があって本屋さんに入っているという訳で、面白い読書検索方法という訳です。そんなことから、ある特定作家の本を読むのは「目的のある読書」(読む事が目的とは?)という事からきています。
井上靖という作家は、流行作家でしたが純文学作家でもなく、さりとてこてこての大衆文学作家でもない、バランスのいい作家と思っています。また、ある人が井上靖の作品には悪人が出てこないのは、彼の人柄を表している、と言っていたのに納得していました。 「次郎物語」(下村胡人)で育った私は井上靖の自伝三部作「しろばんば」、「夏草冬涛」「北の海」に夢中になり、更に西域もの、から晩年の宗教的、哲学的、あるいはスピリッチャルな物と私自身の心象風景と良く一致していたような気がします。それは私だけでなく、多くの日本人共通な心の変化あるいは成長の跡かもしれません。そんな訳でこの文章が多くの人の共感を得るのではないかと、秘かにまったく自信過剰に書こうと思った次第です。
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