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ある偽作家の生涯・・日本画家大貫桂岳伝記編纂の仕事を大貫家から委嘱され、それを引き受けてから今日まで十年近い歳月が経過しているが、未だに私はその約を果たしていない。それはまず彼の年譜に着手したのであるが、晩年の京都の豪壮な邸宅を手に入れる前は、気分の赴くままに京都市及びその近郊だけでも十箇所以上その居を変え、また一年の半分は旅で送っている状況にあり、それを記録に留めるのは難しい作業であった。
暫くして再開することになるのは、桂岳の息子大貫卓彦氏との接触、邂逅であった。二人は気が合い、その後何遍も取材旅行に出かけている。そんな中で、数少ない桂岳自筆の資料以外に新たに物が見つかったという、和紙に細字で明治三十年から三十二年までの出来事が断片的な覚書風に記されたものを入手した。これが桂岳作品に偽作が含まれている、
あるいは偽作家が存在するという事実を知らせてくれた。やがてそれが原芳泉という人物であることを知ることになる。二人はやがて大貫桂岳よりもこの偽作家、原芳泉に関心が移っていく。彼の人生について多くの記述を省略するが、題名のように原芳泉が主人公であるからこれを省略するのは、感想文にとって(あるいは読書案内にとって)無理があるが已もう得ない。
彼の作品(偽作)はかなり優れたのもで、二人の目に依っても容易に本物と区別出来るのもではなかった。「莫迦な奴だな、親父の偽作なんてつまらんことをしないで、自分の作品を描けばいいじゃないか!」と卓彦氏は床の間の掛軸を見ながら言った。卓彦氏の遠い記憶の中で父親が「顔を上げて俺の顔を見ろ」と誰か分からぬ人物に怒鳴っている場面が蘇ってきた。原芳泉は土下座せんばかりに頭を下げている様子であった。芳泉に金を恵んでやった事は一度や二度ではなかったらしい。
その後の芳泉の名前を聞いたのは、昭和二十年終戦の年であった。中国山脈の尾根の所で、岡山、鳥取、広島三県の県境に近い山村であった。部落一番の大百姓で檜の一枚板をそのまま納戸との境の戸にしてある座敷で、大貫桂岳の牡丹の花の下でこちらを振り向いている狐の絵であった。この家の主人はこの絵について、「実はこの絵を描いた大貫桂岳という人の無二の親友で原芳泉という画家からの物で、彼は当地出身の人です」と理由の分からぬ含羞をおびた顔で話してくれた。
そして三回目の再会は彼の奥さんの消息であった。彼女の話によると、最晩年は絵の仕事ではなく、若い頃やっていた花火の仕事であった。しかし素人芸で本格的な仕事ではなく、村人に頼まれると家の隅でこそこそやるような惨めな仕事であった。何をやっても器用な芳泉はそれなりに花火作りをこなしていたが、作業中に花火が爆発して三本指になってしまった。若い頃は花火に桔梗色を出したいという夢を持っていた。だからこの晩年は若しかすると、若き頃の夢の実現に情熱を傾けていたのかもしれない。ここで私と卓彦氏との長い資料収集の旅は終わるかと読者は思うかもしれない。しかし作者井上氏は更にその晩年に話を進めていく。
最後のエピソードである。村祭りに打ち上げ花火をやることになる。彼は村の若衆に花火の打ち上げ技術を教える指導者になっていた。彼の製造技術は優れたものではないが、早打ちが得意であった。早打ちというのは、前の花火がまだ消えないうちに次の花火を打ち上げるという、連続して花火が咲くという素晴らしいものであった。早打ちのため次々に玉を筒の中にぶち込むので筒は真っ赤に焼けてしまう。彼は弟子である村の若衆四人を使い老人とは思えぬ素早さで走り回った。打ち上げた花火を自分では見ることが出来ない姿勢で同じ動作を繰り返していた。「どうだ、綺麗だったか」「見物人は随分わあわあ言っていたらしいな」そんな事を弟子たちに聞いていた。これが偽作家の最後のエピソードであった。注-1
一人の偽作家の人生を形成する暗く冷たい一本の流れは、原芳泉という人物がどうしてもそうした生き方をしなければならなかった、持って生まれた本質的なものの、韻律というもののまったくない、考えても遣り切れないものであったが、それだけに又そこに妙な業のような悲しみもあって、人間の哀れさというものを思うとき、私には何となく痩せ形の色の浅黒い陰気な無気力な容貌を持っている人間のことを思い出されてきた。
しかし又まったく別種な感慨に打たれた。一世を風靡した画家桂岳と自分の打ち上げた花火も見ず、観衆のどよめきに背を向け続けていた芳泉が人生の出発点において同じ地点に並んでいたということは、何という皮肉なことであろうか!この事実を知った時、私たちは初めて芳泉の生涯が暗いどろどろした芳泉という人間の持って生まれてきたものの展開ではなく、一人の天才との接触において相手の重さに打ちひしがれて、自らを摩滅した凡庸な人間の悲劇を見たように思った。今までこの一偽作家の生涯に感じていた暗い運命的な手触りは消えて、もっと人間的な悲劇の色彩を帯びて、原芳泉なる人物は私の前に現れてきたのである。
もし原芳泉が大貫桂岳と友達でなく親しい交わりを持っていなかったら、芳泉の生涯はもっと別なものであったかも知れないと思った。明治三十年前後の時代、桂岳は雲を得て天に昇りつつある蛟竜とすれば、原芳泉はさしずめその強烈な栄光のあおりを喰らって転落していく以外になかった無力な一匹の地虫ではなかったか! 注-2
私は芳泉描く桂岳の偽作「花鳥」と「狐」の軸が既に秋の気を充たし始めているあの中国山脈の尾根にある部落の二軒の農家の床に今も懸かっているであろうことを思い出し、いつか感じた悠久の思いが、この瞬間もまた私を捉えた。それは芳泉と桂岳に関係あることであって、しかしその二人に無関係なある一つの小さな事実を持っている生命であった。そこではもう本物も偽物もなんの意味も持たないようであった。
後半部分の文章は全て省略せず、小説から取り出しじっくり繰り返し読んでみたいものである。しかし長くなるのでつぎはぎしてしまい、作者の考えを充分伝えられないと思っている。ですから是非実物を読んで本物を味わって欲しいと思います。
後半の一括りした部分、注-1 の部分でこの小説を終了させる事は出来なかったのだろうか? 読者の心情では、これほど芳泉を惨めにしないで、若き日の情熱が花火の早打ちに蘇って終わりにし、偽作もまた本物の照り返しとして、それなりの芸術の特殊な分野を彩るものと解釈すれば・・・そんな気持ちが無い訳ではないが、井上氏は更に踏み込んで注-2 の部分から一気に両者を昇り竜と地虫に譬え、甘い考えの読者を驚かし、最後に人間の世界の毀誉褒貶を笑い、生み出された本物と偽者の二つに何の違いがあろう!と、その作品からくる悠久な思いに、心を遊ばせる事が出来るかどうかが大切である!と言っている。
家に戻ると私は石鹸を持って、この気持ちの悪さを払拭するべく、川原に下りて行った。水の中で石鹸はスルリと両手から抜け、手元から離れていった。なんという不運続きだろうと私は忌々(いまいま)しく思った。しかしこの二日間で経験した如何なることよりも石鹸の逃亡は私には烈しい衝撃であった。この衝撃によって、この二日間の出来事は何か重大な錯誤を自分は犯しているのではないか、という思いに駆られた。石鹸の逃亡もさることながら、私はうっかりして自分が考え落としているものを、今こそ考えなければならないような、思いに迫られていた。そして、その思いをじっと一点に集めて、其処に立ったのだが、ふいに私はその考えなければならない正体が、はっきりとして心の中に蘇ってくるのを感じた。昨日から今日にかけて私を廻って起こってきた事件が、まったく違った意味を持って、私に襲いかかってきたのである。ああ、何もかもが俺から逃亡していると思った。もう二度と決して戻ってこない妙にふてぶてしい遠ざかり方で何もかもが私を置いてけぼりにして、遠ざかりつつあると思った。それは迂闊にも今のいままで私が気付いていなかったこの二日間に私を見舞った、幾つかの事件の意味であった。
石鹸を失ったことに依って、それが一度に点火されでもしたように、昨日から今日にかけて起こった多くの、どこかまともでない事件どもは、私を川面に漂う夕明かりの中の一箇所に思いもかけない寂寥感と共に居竦ませたのである。
私はその時石鹸の消えていった水面を見ながら、死ぬ以外、如何なることももう自分には残されていないと思った。私の足は確かに人生の途上で、何か重大なステップを踏み外しているに違いないのであった。死ぬ以外にもう取り返しのつかないような――。私は次の瞬間、水の面に突き刺さるような妙な格好で水の中にのめり込んでいったのである。
自分の存在を否定するような幾つかの不幸な事件、それらが意味するものは、自分の存在が如何に儚いものであるかを示している。ぼんやりと感じていた自分の存在、人は大なり小なり、このような経験をするものです。しかし、毎日の忙しさや感覚の麻痺(鈍さ)などのより、人の心に長くは留まらないものです。私もこのような出来事をよく夢の中で経験します。何年も受験勉強をしているのに、気が付いたら受験手続をしていないことが分かったのです。この勉強してきた時間はどうしらいいのでしょうか。あるいは小さい頃からやってきた生活習慣が今になって、現代医学により決定的に悪い病気に導く習慣であった、というものです。気付いたときには既に取り返しがつかない出来事。そんな事を自殺を決意した人は感じるのでしょうか。
かって日本の文学青年はその鋭くガラスのような感覚から、庶民にとっては愚かと思える行動で、自殺したものです。 現代はこの鋭利な感覚ではなく、瞬間に、考えなくプツンと糸が切れるように自殺したり、他殺したりしているような気がします。そしてその糸がどれ程緊張に強く張られた後に切れるのでしょうか。
井上 靖全集 第3巻
ある愛情、ある自殺未遂、七夕の町、ある偽作家の生涯、二枚の招待状、
昔の愛人、梧桐の窓、鵯、薄氷、桜門、北の駅路、貧血と花と爆弾、桶狭間
氷の下、楕円形の月、小さい旋風、千代の帰郷、白い手、仔犬と香水瓶、贈り物、海水着、青いボート、落葉松、水溜りの中の瞳、あげは蝶、滝へ降りる道
夏花、晩夏、海浜の女王、頭蓋のある部屋、美也と六人の恋人、断崖、山の少女、爆竹、再会、ある日曜日、石の面、燃ゆる緋色、青い照明、黄色い帽子、
風わたる、騎手、春寒、天目山の雲、春のうねり、伊那の白梅
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ある自殺未遂・・近所の川へ風呂代わりに石鹸を持って出かけた私が、ふとした気持ちから入水して、引き上げられてしまった男の其処に至る二日間を語った話である。
翌日の新聞記事は小さく“自分の将来を悲観した画家の自殺未遂”という内容を掲載していた。しかし三流紙はどこで嗅ぎ付けてきたのか、自殺を図った当日、私が内縁関係にある美沙という女に逃げられており、芸術上の行き詰まりと、失恋と二つの原因で前途をはかなんだものらしい、とかなり大きい見出しで興味本位に報道していたのにはうんざりした。しかし直接的な原因としては、近所の日雇い人夫の老人が言った“あんたは魔が差したんじゃ”というのが一番ちかいものであろう。
その日の前日の話であるが、私の経済状況を心配したある先輩画家が、わざわざ彼自身の所へきた仕事を私に回してくれたもので、その講義録の執筆メンバーは、私を除いたら一応名前が知られている人々で占められており、従って無名な私の参加はやや破格な感じがあるものであった。其処へ届いた葉書に事務所の女性が書いたものか、「絵の描き方」は、
突然ですが、企画が変更になりましたので、お書きにならないで下さい。右お知らせいたします。という素っ気ないものであった。葉書一枚でこんな大事な事を、通達してくるとは非常識極まる処置であった。しかし、私はこの葉書の筆者に、さほど悪意があろうとは思わなかった。非常識をいっこうに非常識と考えていない筆者の無知が、最後に臆面もなくくれぐれもお身体を大切になさいますように、というような一行にも現れていて、私から怒りを取り上げると共に、やりきれぬ無気力な気持ちを私に押し付けてきた。こいつは救われないと思った。思い切った無礼極まる相手の貌が葉書の文章の内にでも覗かれるなら、こちらはこちらで怒りをぶちまける手もあるが、おそらく給仕ででもあろうと思われる筆者の幼さは、私をただ無性にうんざりさせて仕舞ったのである。
そんな朝方の気分の悪さを抱きながら、午後勤め先のS中学校の同僚三人を招待している事を思い出し、ビールと安ウイスキーや撮みを市場から買ってきた。また母屋から借りてきた夏向きのガラスの皿にトマトや缶詰の鰯や肉を並べたり、ピーナッツやするめを小皿に並べたりした。このように私なりに、準備をして約束した時間を待ったが、いくら待っても三人は来ず九時近くなって遅くなってすみませんと出前の鮨屋が四人前の鮨を置いていった。何事か起こりつつあると私は思っていた。私は失意のどん底にある人間のように、無気力に十二時近くまで縁側に座っていた。約束の時間や場所は間違えないように、
お互いに手帳をもって、確認していたのである。翌日つまり自殺騒ぎの当日であるが、過って同棲していた美沙の住んでいるアパートにビール二本持って出かけた。
彼女とは貧しい画学生時代、恋愛の真似事のような事をしていた時期があった。美沙の部屋の前に立って、扉をノックしたが、いくら叩いても扉は開かず、隣室の顔見知りの二十二、三のキャバレーに出ているという娘が顔を出して、彼女は昨夜引っ越して行きましたよ、といった。近所の部屋のかみさんたちも顔を出して、私の周囲に集まっていた。貴方にも何も言わずに引っ越して行ったんですか!と驚きの声を挙げ、管理人も来て扉を開けてくれた。四日ほど前、まくわ瓜を切りながら、「夏には一度くらい、涼しい所へ避暑にでも行きたいわね」そんな事を言いながら、美沙は私から去っていく計画をあの時既に仔細に立てていたのだろうか! その事を思うと、ひどくやり切れなかった。
午後になり美術商である山根商会に招かれていたので、出かけて行った。これは山根商会の番頭がわざわざ私の家を訪ねてきて、「是非貴方に来ていただき、お食事をしながら、いろいろ中国の古い物について、お話をしたいと、主人が言っております」という話であった。約束の時間に少し遅れていくと、主人は外出中なので、と応接間に通された。三十分ほど待たされ、自分が二時間も遅刻したことに気付き、これくらいの時間は腹が立たなかった。そうして、さすがにいい加減待ちくたびれて、私が此処にいる事を忘れているのではあるまいか、と思い始めた頃、スッと扉が開いて、一人の女性が入ってきた。
私には彼女が奥様なのか令嬢なのか分からないまま、『大変遅刻してすみませんでした。出かけに急用が出来たのもですから・・』と丁寧に遅刻を詫びた。しかし彼女はそんな言葉に耳を貸さず「絵でも恋愛は描けますの」と言った。「え!」ともう一度聞き返すと、「絵でも恋愛は描けますか?と聞いたの」と言った。私は兎に角お茶を飲んだ。彼女は立ち上がると、公園の花壇を見るように、ゆっくりゆっくり応接間の陳列品の周囲を歩き出した。
私は立ち上がって「失礼しましょう」と言った。そしてなんの言葉もなくその女性は私を見送ってくれた。
澄賢房覚書・・私は十六年ぶりに、紀州高野山に登った。学生の頃は専攻が美術史であった関係上、何度か登ったことがあったが、学生の頃なので定宿もなく、その時任せの寺院宿坊に泊まっていた。
そして偶然にも大学時代の友人である吉村嘉章氏に出会う。彼は密教の研究においては既に一方の権威になっていた。また偶然が重なり多少そこに奇異な気持ちがしないでもないが、吉村氏の住んでいるR院の書斎で古い日記(古文書)を手の取りその中に、二枚の紙片が挟まっているのを発見する。
その一枚は「十月二十四日 親王院への途次、澄賢房に会う、」とありもう一枚には「十月二十六日 大門より二里の山中に、見かけぬ老人、凍死せるものあり・・」と書いてあった。この一枚目にある、澄賢房とは私が学生時代、ある古書店の書棚の一隅で背に「般若理趣経俗詮」という墨の細字で認められた和綴じの書物を見かけ、別に大して深い意味もなく、その頁を繰ったのである。しかし本論の書き出しが「若年の日、年頂(塾頭)より下山申しつけられ、高野山を去りてより、・・その間、欲触愛慢破戒無慚の旦夕に身をゆだね来たり、・・」と親鸞を思わせるような経験の持ち主があの難解な理趣経を民衆の感覚で解き明かしたという書物である。その筆者が澄賢房であり、私は学生時代に卒論の合間をみて、この筆者が如何なる人物であるのか、調べた事があった。
大まかな事は調べられたのだが、やはり彼はとんでもない破戒僧であった。高野山の修行中におれんという酌婦に惚れて、その女のもとに毎日通ったとか、女を高野山に引き込んだとか、それにより年頂からお山を追放されたようである。また下山した後にも、彼の不評判は続いていた。俗世での澄賢房とおれんとの生活は相当烈しい情痴の世界が繰り広げられていた。そして澄賢房は紀の川に身を投げ自殺したようだが、死に切れず橋本(土地の名)の男によって、橋桁に引っかかっているところを助けられた。無様な様子である。
澄賢房の生涯は凡そこのようなものであったが、晩年についての手掛かりは調べられない内に私の生活の変化から関心が薄れていった。しかし私は「般若理趣経俗詮」の著者とこれらの人生の間にどういった繋がりがあるのか、もう一つしっくりしないものがあった。
しかしこの偶然の重さなり(前出)により吉村家の書斎の古文書から見つかった、二枚の紙片が私と澄賢房とを結びつけた。この事に学会の権威である吉村氏は「不思議な事があるものですね! 何にしてもその澄賢房という僧侶はやはり貴方に自分の晩年を知ってもらいたかったのでしょう」としんみりした口調で言った。
この紙片に書かれた文章の書き主は吉村氏によって、明らかになった。彼の調査と推量によりおそらく明治時代の高野では匿れた聖僧といわれる宏栄(こうえい)という人であると分かった。彼は権大僧正になり又、大阿闇梨として明治四十四年七十七歳の高齢で遷化している。事実はこれだけである。私は吉村氏が発行人になっている、小さな同人誌のような冊子に“高野山に帰ってきた澄賢房”という題で三十枚程の一文を草した。
この文章は読者の為に取って置きます。その感想であるが、実に人間の思考や感情の機微にふれる、素晴らしい内容です。と言おうか井上氏の独壇場とでもいうか、これぞ井上ワールドというものでしょう。これからも何度同じ事を私は書かなければならないでしょう。もっと私に文才があれば別なのだが。
宏栄と澄賢房の対話の場面である。この大阿闇梨はその地位を極め、今は穏やかで何も懸念のない人生を送っているのであろう。長い間の禁欲から解かれ暖かい部屋でおいしい物を食べている。澄賢はこれを宏栄に見せる為にのみ書いてきたであろう「般若理趣経俗詮」を包みにして、傍らに持参している。彼の気持ちを述べたいのだが、言葉が上手く相手に伝わらず、しかし僧侶はしっかり頷き聞き入っているのだが、心の奥底にまで達しない歯がゆさを感じていた。「わしは、二十年以上理趣経の勉強を続けてきましてな!」そう澄賢は口を開いた。「あらゆる誘惑を遮断された高野の山で一生不犯に生きた人間の理趣経の解釈ではない」と言いたかった。しかし宏栄との話しはすれ違った。決して否定するものではなかったが、もはや宏栄は澄賢と真正面から議論するつもりはなかったようである。
「仏の教えというものは、これまた深いものでな、その勉強はいつ終わりがくるものでない。勉強をすればするほど、その深さが分かってくる。」「それはいい事をなすった!いずれの麓から上がるも、峰は一つじゃ、あんたの書きなすった事を誰が知らなくとも、誰が読んでくれなくともいい。お大師さまはよくご存知じゃ」
彼はとうとう持参した理趣経の現物を出しそびれてしまった。そして暖かく送り出してくれた宏栄を背にして、放心状態のままふらふらと雪の中を帰途についた。しかし帰るべき宿坊とは反対方向であることも、気が付き何度も引き返そうと思いながら、どんどん山中に迷い込んで行った。
二枚目の紙片にある内容を私はここで結びつけた。宏栄は「見かけぬ老人、凍死せるものありとの評判、行き倒れか不明という。亡者の心知る能はず、不哀。終日心重し、光言念誦、回向申し入る」と。
傍観者・・傍観者というタイトルは詩篇でも出てきた。お気に入りの言葉だろうか。
私が始めて梨花と会ったのは、私が北国の高等学校に入学した時で、この時、私ははじめて東京という土地を踏んだのであった。父の任地である北国の少し暗いが静かな城下町で、小学校、中学校をすませ、その土地の高等学校へ、私はさして入学試験の苦労も知らず中学四年終了で、すらすらと入ってしまい、私は生まれてはじめてその時、入学式までの一週間を、親元を離れて自分ひとりの旅をしたのである。・・私は聞いているだけで誰にも会った事のない母方の遠縁にあたる梨花の家を南の郊外にある高台へ訪ねて入ったのである。・・我儘な少女というより寧ろしとやかな少女であり、美貌というより孤独な内気な面輪(おもわ)を持っていた。・・私は後にも先にもあんな清純ないきものを見たことはない。
会った瞬間から恋心を持ったにも係わらず、私は特に何もなく高等学校を卒業し京都にある東洋文化研究所に就職した。ここで私は突然の梨花の訪問を受けた。この時、さして理由もなく同僚の岸本を紹介している。この行為がその後何年にもわたる、私と梨花との交際に於いて私を傍観者と言わせるものとなったのである。・・この後私に召集令状が届き東北の連隊に入隊し、更に中国、北中支の部隊に出征して入った。そして外地で岸本と梨花が目黒のG園で盛大な結婚式を挙げた事を知った。梨花は前出作品「悪魔」の摩耶子のような、自分の考えをしっかり持った、強い、あるいは奔放な一面を持った女性に変貌していた。その後岸下も応召され南方に行ったらしい。日本は昭和二十年何もかも破壊され八月十四日を迎えていた。明日、戦争が終わるということを、ある方面から聞いていた。
私はある広壮な邸内にある小さな離れに住んでいた。夜遅く、十一時に帰り北側の窓の黒い遮蔽幕の間から内部を覗くと、机の前に誰かが座っているのが見えた。良く見ると梨花だった。私は再び足音を立てないようにして離れから遠ざかり、広い邸内の中を歩き回わった。そして三十分ほどして、離れの方に引き返して見ると、今度は離れの方の灯火は消えていた。梨花は帰ったものらしい。
この後の岸下と梨花の生活は波乱万丈の物語である。二人は神田の焼け残りの小さなビルの一室でカストリ屋を始めた。この半壊半焼の三階建てのビルの二階に二人のお店があった。階段を登り、つき当たりの扉を押すと、「どなた!」という声と一緒に五、六人の目がいっせいに私の方を見た。ごみごみした狭い汚い部屋であった。粗末な椅子や空箱などに三人の女と二人の男がいずれも半裸体でどんぶり飯をかき込んでいた。「まあ、仁科さん」
そう言って、簡単服の上着を脱いで胸の所をくしゃくしゃに固め、両乳を露にしている女がいきなり立ち上がったが、それが梨花であった。あまりの変わり方に私は呆然とした。
その後、二人は闇のブローカーなどもやり、しっかり金儲けをすることになる。しかし二人の生活は上手くいかず、夫婦とも壊滅的な状況になってしまう。物語の始めは梨花が毒薬を飲み、私の部屋のベッドで自殺するところから始まっている。
この話の途中に出てくる、離れに夜遅く梨花が訪ねてきて、しかも私が会うのを避けてしまい、結局このエピソードは流れの大勢に影響しなくなってしまう。それなのに、読者に強い印象を与えそれが終戦前日で、社会が何もかも変わってしまうのが分かっている梨花が切ない。傍観者とは、常に主人公の傍らで冷静にこれを観察している人と思っていたが、それよりもっと積極的で、ある決定的な場面で、振り子が単にどちらかに振れただけの人物であると思った。
雷雨・・その日魁太はワサビの仕事を休んで、息子の黒い背広を着込んで、村役場のある部落まで山を切り開いた山道を下りて行った。今日はこの部落で最も出世した西尾玄一郎とその家族がやってくる日である。彼の講演会や宴会のため村長や校長など村のお偉方が挙って迎えるのである。「西尾玄一郎よ、あいつは小学校の時は俺と同じ学年でな、出来ん奴だったが、現在は豪物(えらぶつ)になっとるそうじゃて、顔を拝んでくるべと思ってな」と魁太は言った。「たいしたもんか何か知らんが、墓参に十年も来ん料簡じゃ」
「勉強せいや、お前さんも、人間偉くなったもんが勝ちじゃ」そう皮肉り、横柄な態度で村人に浴びせた。懐かしさと嫉妬心と誰も自分には見向きもしない村人たちに、玄一郎の唯一と思われる幼馴染の自分の存在をどう示したらよいのか、深酒でべろんべろんになった、手足や脳みそに戸惑っていた。
「わしは、玄一郎さんを迎えにきたんじゃ同級生だでな」と複雑な胸の内をどうにか整えた魁太が口にした言葉であったが、校長初めとする取り巻き連中によって、その言葉は届かなかった。「お父さんをお呼びになったの」「玄さんと言うのは、ほかに居るまいがのう」と魁太は美しい娘に押されまいとして、そんな風に言った。「わしはな、玄一郎さんと小学校の同級生でな」「まあ」と娘はとたんに顔を綻ばせると、魁太の顔をしげしげ見つめていたが、「お父さんと同級生ですのね、おじさま」
横柄で、年老いたひねくれ者がこの無垢な少女を通して、幼馴染の有名人とどのような出会いとなっていくか、読者はどうしても期待してしまう。しかし実際は・・・
舞台・・若き女性天才バヨリニストとその先生である父親との関係や読者にはあまり知れない取り巻き連中の人間関係を扱っている。そんなことがあるのだろうか、と読者は感心するような話である。
銃声・・大戦中の中国北方戦線の話である。脚気のような神経に発作がくる、病気を持った兵隊が主人公である。ドキュメンタリィの白黒映画を見て入るような気がする、暗い小説で、筆者の体験からきているのだろうか。次の無蓋貨車も同様な話し。
悪魔・・作者の金沢における高校時代をもとにした物語(北の海)だろうか。
金沢の町の中心部香林坊に、昼間は喫茶店だが、夜は酒場になるバッカスという店が出現したのは佐多たちが高等学校生活を残り半年に縮めてしまった秋の十月で、寮の記念祭が開かれて間もなくであった。多くの井上作品に出てくる設定である。これだけで読者はワクワクしてくる。もちろん悪魔は一般的な意味の悪魔ではなく、女心は複雑怪奇、計り知れない所がある、という意味の悪魔である。解説不用な展開である。泉洋一郎夫人が、はたして、美しい悪魔の摩耶子であるかどうか?泉洋一郎が受賞の為上京する日を、佐多は新聞で読むと、訪ねようか訪ねまいか、ふと自分の心の中に思い惑うものを感じた。
結婚記念日・・戦争や病気を味わいはしたものの、井上靖氏は物質的には恵まれた環境にある人生を送ったような気がするが、どうしてこのような吝嗇(けち)と言おうか、シブチンな気持ち、考え方を理解し、表現できるのだろうか。アーある!ある!と頷きたくなるような話である。庶民の気持ち、あるいは貧乏人の気持ちを描いているようで、思わず笑ってしまう。もちろん深刻な話ではない。井上氏のユーモアは作品の随所にある。私には品のいい冗談に感じる。
表彰・・これは個人的に「分かるナー、この気持ち」という物かも知れない。あまり一般的な共感は得られないかな。無口で人付き合いが苦手、職場では若いものからも小ばかにされるような人物。主人公はM化粧品会社の宣伝部の下っ端社員ではあるが、三十年お勤め大事に勤め上げたことが認められ、会社の創立30周年記念日に当たる今日、会社で只一人表彰されることになった。だから彼は会社創立時からこの会社の社員であるから、同期では只一人の平社員と思われる。そんな事で会社に対する貢献度で表彰されるより、むしろよくこの状況で今まで勤めてくれた、という意味合いがあるのだろう。妻は「神様はきっと誰も知らなくとも見ていてくれるのよ」と慰めのような事を言っていた。
しかし、かれの心中は複雑である。単純に喜ぶ気持ちにはなれない。何故今になって、やるならもっと早くに出来たであろうに。とか、この記念日に私只一人表彰されることに本当に喜んでいいものか、などと思うのである。でも兎に角、名誉の表彰であるし、賞金も出るのだから、ここは無事に過ごしたい、と読者はおもうけれど主人公は何やら抵抗しそうな雰囲気である。今度は読者が何故今になって、変な抵抗する君の気持ちは分かるけどさ!どうなっちゃう!どうなっちゃう!
利休の死・・利休が秀吉によって、切腹させられた事件で秀吉から蟄居が命じられ、その後の追って沙汰するまでの短い期間を描いている。
彼が死を賜る本当の理由は、大徳寺山門の木像事件や茶器の売買や娘のことでない事は秀吉の誤解ではない事を利休は知っている。世の誰にも理解されぬ利休と秀吉の二人だけの事であった。
まだ秀吉が織田信長の部下であった頃、秀吉が宗久の所有している数々の名宝をそつなく褒め称え、それが卑しき堺の町人共の手から天下に号令せんとする主君信長公手に帰した事を、それら名宝のために慶賀すると述べた。利休は、何者にも臆さないこの若き武人に大きい感動を持って見惚れるように見入っていたが、「お眼利き、奇特に存じます」とただひと言静かに言った。これが、切腹させられる唯一の原因という。
奇特という言葉は「あの人は奇特な人だね」とやや皮肉っぽくいう場合が多いが、辞書によれば本来、奇特とは良い意味に使われる言葉で、この場合も身分高き武将に直接発した言葉なので、皮肉な意味はないと思われる。この言葉に対して、秀吉の視線はかなり長い間利休に留まっていた。茶坊主が何を言い寄って!と歯牙にもかけぬほど無心な眼であった。そして利休も言ってからはっとした。相手の心臓に短刀を差し込んだような気持ちを、自分の言葉から感じたからである。そして、利休はこの時初めて、自分がこの優れた武人を烈しく憎んでいる事を知ったのである。
これぞ井上靖の世界である。たったこの一言から次々に作者の頭の中から文章が繰り出てくるのである。この手法で彼の恋愛小説は展開していく。人は言葉によって、人になるという。言葉を獲得していく過程で人は意識というもの、心というものを獲得していくという脳科学の学者がいる。言葉が脳の中の神経を走り、パルスが走るなら、ほんの小さな言葉が人間全体の機能を動かしているのであろう。少し極端なほど神経過敏な井上靖氏の文章も鈍感な私に刺激を与えてくれる。
七人の紳士・・ミステリアスでチョット滑稽な話。第1巻短編中の「紅荘の悪魔たち」のような、雰囲気をもった話です。凶悪、極悪殺人犯が捕まり、その父親はどうやら高級社交クラブのメンバーらしい、というのだ。しかし犯人はその名前を言わない。そのクラブの多くの会員は脛に傷もつ経歴である。その犯人の一言で彼らは一喜一憂する。例えば犯人の年齢という情報により、その父親ではありえないという会員はホッとして、他の人をからかう冗談など言い、また犯人の大きな身体は父親譲りと言えば、小柄な会員はその小さな、きゃしゃな身体に感謝する。このようなドタバタ騒ぎの話は井上氏独特なユーモアで読者を楽しませてくれる。
星の屑たち・・小学校の代用教員(戦後よくいた先生)時代の二人の教え子。暴走族風で鉄火肌の江戸光子と美人で淑やかな司きよ子。子供時代のエピソードも不可思議。校庭で光子がきよ子を苛めている光景を見た彼は止めには入り、理由を聞くがきよ子が光子から借りた毬を返さない、という。しかし、きよ子を問い詰めると、家にあるので後で持ってくると言葉を変えてしまう。数日後教室から毬は出てくるのだが、真相ははっきりしない。
そんな二人が大人になり、私は光子から相談を受ける。作者井上氏は決して、話を単純にしない。今回もどちらが嘘を言っているのか、あるいは嘘を言っているのだがやむを得ない嘘なのか。最後に突然私が司きよ子が好きになっていた、と書いている。それはないよ!それは何時から、まだ書いてない事実があるの? と作者を責めたくなる。
死と恋と波と・・これも死についてのお話。井上作品には大作「化石」のように、作者の死生観を語るものが多い。会社社長の杉千之助は事業に失敗して、汚名をきることに耐えられず、自殺を決意し南紀ホテルに宿泊している。そこに旅行目的「MORS」〜ラテン語で死という意味〜という、若く、美しいが小生意気な雰囲気を漂わす女性が、同宿することになる。人生に対して、未経験な女性と辛苦を味わった中年男性の二人だけの宿泊客。
舞台は整い、読者にわくわくする読書感を与えてくれる。途中は読者のために、取っておいて、結末になる。杉千之助は自殺するのだろうか、思いとどまるのだろうか?
自殺するのは、そのままの流れで、特に苦労を要する必要はないだろうが、やはり作者は無責任な気持ちや投げ出した、と、読者に感じられないかと思うであろう。一方自殺しない場合、説得力のある理由を設定しなければならず、それこそがこの作品のポイントである。是非読んで、どう思うか感じて欲しい。
最終決着を作者がどうするのか、という問題で志賀直哉の「小僧の神様」という作品がある。志賀直哉が小説の神様と呼ばれる所以になった作品。・・仙吉は神田にある秤屋の店に奉公している。奉公人にはまだ貧しい生活しか送れない時代である。小僧の仙吉と、ふとした事で顔を合わせる事になるのが貴族院議員のA。身分も名前も明かさず、同情心からか正義感からか、小僧に高級なウナギや高価なご馳走をすることになる。小僧は不思議な気持ちになり、彼がなにか神様のような存在になる。そこで結末を志賀直哉はどうするのか。〜仙吉には「あの客」(代議士)が益々忘れられないものになって行った。それが人間か超自然のものか、今はほとんど問題にならなかった、只無闇とありがたかった。彼は鮨屋の主人夫婦に再三言われたにも拘わらず再び そこへご馳走になりに行く気はしなかった。そう付け上がる事は恐ろしかった。
彼は悲しいとき、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけで或る慰めになった。彼は何時かは又「あの客」が思わぬ恵を持って自分の前に現れて来る事を信じていた。〜ここで小説は終わりとなるが、志賀直哉はそのあと次のような文を書いている。作者の気持ちでは、小僧は「この客」の正体を知りたくて、所番地を聞き訪ねていくが、そこに建物はなく小さな稲荷の祠があるだけだった、と書きたかったという文章を加えている。 そうしないのは小僧に少し残酷な気がしたから、と。
井上靖に志賀直哉のような、付加文が許されるなら、どのように書いたであろうか。
リアリティーを重視するなら、これほど決意して、そして分別のある大人として描かれているのだから、武士のように何物にも囚われず、一旦決意したものを若い娘を思いも懸けずに抱いたからといって、ホイホイ止めるなんて書けないよ。しかし、そうならなかった必然を私は書いたつもりだが君はそう感じなかったかネ!と靖さんに怒られそうです。
あるいは、千之助が可哀想だから、または読者の真情に配慮して、となるのかもしれない。
波紋・・この頃(戦中・戦後)の男性のある理想像(女性にとっての)でもあったのではないでしょうか?いや井上靖の好きな青年像であるかもしれない。 肉欲からでなく(どんな欲望か分からないが)純粋に精神的な、プラトニック・ラブ、という言葉がはやった時期だったか、女性に関心を示しながらそれを隠し苦しむ、女性側からすると優越心をくすぐるような男性のタイプかもしれない。長編の作中人物にもよく登場タイプに思われる。
友人の先輩夫婦と同居するようになるのだが、この主人公の性格は京都大学大学院の哲学科に入学が認められているような秀才タイプでなければならない。二流の地方大学出身者ではこのキャラクターは務まらない。つまり勉強だけをやってきて、世間を知らない。世の中の仕組みや人間の裏側を知らない。だから純粋で、計算高くなく、後先を考えない人物である。女性にもてる事になっているこの人物は平成の御世では、どうなのだろうか?
一目で世話になっている夫婦の奥様が好きになり、毎日その好意を悟られないよう激しい自制心と戦いながら生活を送っている。毎日所在なく暮らしている(本人は勉強するどころの話ではない)ので、奥様は退屈しのぎに毎日午後2時から3時まで詩の講義をお願いする。もちろん、ご主人は務めで家にはいない。学生は大好きな奥様のために、ボードレーヌからマラルメ、ベルレーヌ、ランボーとフランスの象徴詩の系列について、前夜から一晩中調べてきたものを講義するのである。しかし奥様はそれが彼の勉強の参考になれば、あるいは退屈しのぎになればと思っている風があり、彼女自身の関心とは違うもののようである。そしてついに耐えられず本心を綴ったラブレターを奥様に送り、その家から逃げ出し私に家に駆け込んできた、というわけです。私はここに居てはマズイと思い、親戚の家にこの学生をとりあえず送り、居候をさせる。そして、読者が予想する(?)ように、奥様が学生を追って、私の家に押しかけてくる。本当は私も彼が好きだった、と。出ていってはじめて気が付いた、と。そして、親戚にあずけた学生に対して、その家の18歳になる娘も彼が好きだったので、彼を北海道の実家へ追いやる仕打ちに涙することになる。忘れていたが、彼は長身で爽やかな顔つきをしている学生である。忘れて居たではすまない、後出しで、ハンサムでカッコよければ筋は読めるよ!と言われそうです。
でも井上靖氏はしかし、世間知らずで女心の微妙な綾が分からない男性、あるいは世間的な打算でなく、一途に突っ走るような男性、将来を嘱望されるような男性(だから今現在このままでいけば出世間違いない男性)という一面を併せ持たないといけないようです。
平成の御世の話が出たが、彼が自分の好意をために溜め込んだので、爆発することになるのだが、現代人はあまり溜め込まない内に吐き出すので、同じ家に住みながら相手にまったく気づかせない様な事はしないでしょう。「僕は貴方が好きになったみたい。そうですか、私はあなたが友達ならいいな!って思ってたりして。」そんな相手が傷つかないような会話で処理しているのかも知れない。でも相手を傷つけないように思って言っている言葉が理解されず、余計な事を考えさせ、かえって爆発させるような事件も起きている。
現代人の我慢のレベルはこの時代よりはるかに低いでしょう。そのことが恋愛という、もしかしたら個人の人生でもっとも難しい出来事を昔とは違う場面にと導いているのかもしれない。
井上靖氏に茶髪で道端にしゃがみこんでいる女の子の恋を書かせて見たい。どんものになるだろうか? 人は通常何もしていないときでも物は考えないではいられない、というのが真理なら(ぼんやりすることはあるが、それは除く)、現代は恋愛にとって今までにない厳しい時代であろう。子供たちはそのガラスのような精神を如何に守るか、心が傷つかないようにする為に、あらゆる努力をして、その結果本人は知らないうちにうつ病のいろいろな形態に陥っている。性行動が正常に機能せず、幼児性愛や恋愛中の殺人、ストーカー等の事件も多数発生している。また深刻な不景気からくる生活不安、そして殺人、格差拡大による社会不安からくる事件等若者が弱者になる場合が多い。現代は昔のように恋愛という言葉が重要になっていない。昔は若者には恋愛は一大イベントであった。男女の関係が容易に結ばれる反面、どこかで若者は恋愛を過小評価している。我々の時代は恋愛とは経験の前に、まず語るものであった。それを語ることがどんなに楽しく素晴らしいものであったか。だから、小説がよく読まれた。男と女の心理、それを恋愛という形でまず学んだ。それは人生では、恋愛にとどまらず、あらゆる場面で応用ができるはずである。それを現代人は経験しない。プラトニック・ラブなんて、意味ないかもしれないが其処からくる人生の学びは大きい。
井上 靖全集 第2巻
比良のシャクナゲ、漆胡樽、人妻、踊る葬列、岬の絵、あすなろう、断雲、
七人の紳士、流星、早春の墓参、星の屑たち、死と恋と波と、二分間の郷愁、
石庭、波紋、雷雨、碧落、黄色い鞄、舞台、銃声、無蓋貨車、年賀状、悪魔、
結婚記念日、密柑畑、かしわんば、表彰、勝負、山の湖、利休の死、潮の光、
傍観者、百日紅、澄賢房覚書、大いなる墓、夜明けの海、斜面、小鳥寺、玉碗記、三ノ宮炎上、秘密、古九谷
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
比良のシャクナゲ・・琵琶湖畔、堅田の地に比良の山並みを見るために、霊峰館に宿泊している。私は七十八歳になる老学徒、三井俊太郎である。学士院会員、××賞受賞、Q大学医学部長、など過去の私の世界的名声だけを利用したい輩がうるさくて仕方がない。そこで、この静かな旅館に世間や家族に内緒で泊まっているのである。もう二十年以上も前、先代の主人の時代から知っている。今は退職して、唯一完成すれば世界的研究成果となる「日本人動脈系統」に没頭している。読者にはよく分からないが、軟部人類学の創始者として、世が世なら、全世界の大学と図書館にこの研究書が発送されるはずである。
現代でも通じる、晩年の迎え方や仕事一途で家庭を顧みない仕事人間さらに封建主義とも思える保守主義、この終戦直後の世相では、それほど極端な生き方とは思えない人物を作者はどこかチョット皮肉りながら描いている。この旅館では彼の長男がどこの馬の骨だか分からない十八歳の女給を孕ませたことで、決してその結婚を許しはしなかった。おそらく彼のような世界的権威である三井家として世間体が悪いのであろう。そして若い二人はこの旅館から琵琶湖に身を沈めた。また彼自身の問題(長男の場合と違い、もっと純粋で人生の意義について思い悩んでいた、と彼は言う)でも自殺の場所にここが選ばれていた。このように、学問だけで世間や家族をまったく顧みない老学徒の生き方は現代では、熟年離婚という形で、社会化している。これは昭和時代の日本人の仕事の取り組み方のツケが平成時代に及んでいるのではないか。しかし会社に対する仕事のあり方では、アメリカの方が徹底しているような気がする(猛烈な仕事人間)。だからそれは日本の男性が家庭というものを、男は仕事、女は家庭とそもそも分業出来ないこと・・育児も家庭に含めている・・を一方的に決めていることに問題があるのだと思う。
名誉も金も自分から求めようとはせず、純粋に学問のみ追及して来た三井俊太郎さんは
ここにきて学会や家族にも疎んじられながら、まだ人間は仕事をする為に生まれてきたのだ、人間は日向ぼっこをする為に生まれていたのではない。幸せになる為に生まれてきたのではない、と言っている。でも秘かに彼のライフワークである「日本人動脈系統」が完成する事は出来ないと感じている。静かなこの宿で、ふと鈴の音が聞こえたような気がする。それは彼の最も輝かしい時代のドイツでのトリイベルヒの山小屋の景色であった。
早く飯にしてくれ、わしは仕事をせねばならぬ。珊瑚の林のような、赤い血管の系譜の中に入っていかねばならない。
漆胡樽・・奈良正倉院御物展の中にある、一抱えもある黒漆角型の巨大な一対の器物の話。
中国の紀元前、漢の武帝の時代から延々とこの異様な形と大きさをした器物の故事来歴が話される。鑑真のように、三度目にやっと日本にたどり着いた数奇な運命にあるこの器物。文章は漢文のように、ルビがたくさん付いたもので、読書速度が急に遅くなる。井上靖得意の西域もの、である。内容は省略するが、私には頭がついていけない。このように、全集を片っ端から読んでいくことに無理があると思う。しかし始めた事なので続けていこうと思う。作家とは凄いものです。大作をものにするのに、何年もかけて調べ上げその上で書き上げるのなら分かるのですが、こんな掌編をスッと書いてしまう。大作のおこぼれを文章にしているのだろうか?
人妻・・1ページだけの超掌編。こんなの全集に入れるなよ! そんな声が聞えてきそう。
でも編集者の気持ちが分かるような気がする。
若者は月が明るく、風が強い船のデッキにいる。彼の頭の中には二つ年上の人妻の顔が乱れている。朝、徳島に着くとすぐ海岸に沿った列車に乗って、Tという町に着く。女を追って、彼女の家を訪ねるが、留守で父兄会に出ているという。・・放課後の校庭は静かだった。窓の外にアオギリが植わっている教室の窓際で、彼女は八歳の女児とともに、受け持ちの先生と対い合って座っていた。愛児のシツケと教育について語る、女としてもっとも清潔な時間が彼女を取り巻いていた。まったく別人のような横顔あった。若者の心から、その時初めて海を渡って運んできたツキ物がおちた。・・
そう、分かりますね。なぜこれを全集に入れたか。お前のような人間が余計な事言って、せっかくの余韻というものを台無しにする。でもそれを書きたくて苦労して全集読んでるのですから、ご勘弁を。女は夢を語ったり、恋を夢見たりしている時は清潔ではないのですか?なんて! でも女性が子供を育てているときほど、気高く、崇高な雰囲気を感じさせるものはないですね。テレビなどで、茶髪の暴走族風な女の子が幼い子供をかかえ懸命に生きている姿をよくやっています。また新宿の盛り場近くの24時間託児所の様子をドキュメンタリィでやっています。この子の為に私はこんな仕事をしているのよ!なんてセリフ私など涙なしには見られません。若者に憑いているいかがわしいものなど、この姿から、すぐに落ちてしまうでしょう。よかった!よかった!どちらの方にも。
あすなろう・・井上靖著「あすなろ物語」によって、全国的に有名になった、あすなろうという言葉。これは、別の話し。同窓会が中心の話しで、登場人物の過去がつぎつぎ明らかになる。最後にみんなのただ一人のマドンナさえイメージとはまったく違う女給をしていた、というどちらかと言うと良くあるストーリー。
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