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井上靖 全集 第5巻

井上 靖全集 第5巻
俘囚、ダムの春、川の話、真田軍記、颱風見舞、夏の雲、ざくろの花、初代権兵衛、紅白の餅、梅、明日来る人、その人の名は言えない、どうぞお先に、火の燃える海、蘆、暗い舞踏会、レモンと蜂蜜、夏草、高嶺の花、弧猿、波の音、
司戸若雄年譜、ある関係、ある旅行、良夜、犬坊狂乱、トランプ占い、佐治与
九郎覚書、屋上、高天神城、四つの面、夏の終り、ある女の死、別れの旅、冬
の外套、ボタン、奇妙な夜、満月、花のある岩場、幽鬼、青葉の旅、楼蘭、川村権七逐電、平蜘蛛の釜、一年契約、
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真田軍記・・真田家に関する四つの物語が綴られている。海野能登守自刃、本多忠勝の女(おんな)
むしろの差物、真田影武者 の四つである。それぞれの作品が淡々と作り物のような派手なストーリーでなく、井上作品らしい上品さで仕上がっている。
屋上・・・十ページの小品であるが、気がかりな作品。胃潰瘍で入院している主人公は四十の半ばを超えた会社経営者である。手術は簡単にすんだが、術後の経過が余りよくない。
よくない原因は、肝臓や腎臓に故障があるらしかった。長い退屈な時間を窓の外に向けることが多く、向かいの建物の屋上がよく見えた。色々な人が屋上に来て、様々な時間の使い方をしている人たちの中で、中年の男性(55,56歳くらい)と若い女性(22,23歳くらい)の一組が名代の眼にとまった。それは多くの人は毎日違っていたが、この一組は毎日決まった時間にやってきて、小一時間過ごしていくからである。男は屋上の真ん中に来ると、そこでやや両足を開き加減に立ち、手を回し足を折り体操を始める。その後ティーショットの練習を始める。そこで気持ちよくクラブを振り、ボールを屋上のネットにぶつける。若い女はさっとしゃがみ込み、恐らく男のためにゴルフボールを置く作業をしているものと思われる。別に何でもない、どこのゴルフ場でも見かける景色である。しかし病人である名代にとって、何か分からないがそこから目を離すことが出来ないような明るい、満ち足りたものがあった。一人の太った五十男と若い女との間に演じられる単調な無言劇の中に、幸福と言われるものから夾雑物を取り去ってしまったらこんな風になるのではないかと思われるような、羨望に値する何物かがあったからである。飽きもせずクラブを振り上げたり、振り下ろしたりしている。そしてその横で女はまた飽きもしないで次々に球を所定の位置に置いていく。それこそ面白くない単調な作業を繰り返している。そんな女の姿は名代にとって、あるときは可憐に、あるときは凛々しく見えた。また男の足元に次々にボールを差し出す女の動作は、いかにも男の練習を傍らで心から親身になって見守っているとしか思われないものを身に着けている。それは丁度主人に忠誠を誓っている犬の持っている素直さに似ている。
 このビルの屋上の無言劇を見守ることが名代の日課になっていた。そんな夫の様子を妻の奈々子は冷ややかに見ていた。名代はある日、妻に対してこの男女が主人と使用人か父親と娘であるか、どちらであると思うか聞いてみた。すると、即座に他人ですよ!と答えた。余りの自信に対して、どうしてか?と聞くと、「私見たのよ、雨のすごく降る日二人は接吻していたのを」 そうか現場を見られては仕方ないな、と私は答えた。
 そんな時の別の日、病院の中が妙に騒がしかった。沢山の子どもたちが廊下を走り回り、奇妙な声を発していた。「幸福そうですネ、ひどく」そう考えもなく婦長に言うと、はたして非難するように「聾唖学校の生徒が、病院見学に来ているんです」と言った。
名代は聴覚障害の子供たちがいかにはしゃぎ回り、その情景がいかに幸せそうであったとしても、それを迂闊にも幸福と言う言葉で表現した自分を婦長に対して恥じたが、そう口走るようなものを、この時の子供たちは持っていた。
名代はこの時、自分にまったく違った二つのものを似通って見せたものは、その幸福感の持つ、いわば純粋度とでも言ったようなものではないか、と思った。そして障害のある少年たちがそうであるように、屋上の一組の男女もあるいはひどく不幸な立場にあるのではないか、という気がした。少年たちがあのように輝いていたのは、彼らが自分たちが持っている不幸をあの瞬間忘れ去っていたのに違いなかった。それと同じような考えをすれば、あの一組の男女もゴルフをやることに依って、自分たちが持っている不幸なものをたとえ短い時間だけにせよ、もののみごとに忘れ去っていたのかも知れなかった。


ある女の死strong>・・私がお美津さんに会ったのは、小学校三年生の夏であった。私は長野から少し離れた農村で酒作りを業としている叔父の家に預けられ、そこから小学校に通わされた。ある日若い女が菓子折りを持ってやって来た。それがお美津さんであることは、すぐに分かった。村では若いおメカケさんがやって来る噂がたっていたからである。このメカケという言葉は子供たちも知っていたが、具体的には何も分からず、悪い意味しか知らなかった。「それー、メカケが来たぞ!」そう言って子供たちは街道や田んぼの中にいても、どこまでも、どこまでも追いかけられるように逃げ出した。
 メカケはどうやら鬼に似た形相を持ち、鬼よりも怖くわないが、もっと陰険で、もっと悪い生き物であると考えられていた。しかし、実際のお美津さんは若く、美しい顔をしていた。あんな美しい顔をした人が恐ろしいメカケだろうかと子供たちは不思議に思った。
お美津さんはどうやら家の裏手にある土蔵に住んでいるようであった。そこで最初にあった話しになるのであるが、菓子折りを持って、引越し祝いの品物を我が家に持ってきたのである。おメカケさんの噂はほどなく下火になっていった。秋には僕たちは土蔵の前で、メンコや石蹴りをして遊ぶようになった。そんな時お美津さんは土蔵から出てきて、そんな僕たちをよく見ていた。
 彼女の旦那は土建業をやっていたが、ほとんど村には姿を見せなかった。だから、村では旦那は監獄に入っている、と噂していた。若く美しいおメカケさんと小学校三年生の僕とのチョッとズレのある交流が始まった。・・そして遂に旦那が村にやって来た。・・旦那がやって来ても、僕とお美津さんとの交流は続いた。そんな楽しい話が続くのであるが、感想文であるから、一挙に終盤まで話しを進めてしまおう。・・・・・・・
 この頃、僕らはすっかりお美津さんにもなれ、土蔵生活を見ることにも慣れてしまった。
ある日のこと、黙って土蔵の中に入っていくと、二つの肉体がからみ合いながら、お互いを罵り合っているような気がした。やがてお美津さんは「馬鹿!」と言いながら立ち上がってランプを灯した。髪は乱れ着物ははだけていた。「坊や!ちょうどいい時に来たわ、
証人になって頂戴」「僕帰る」「ダメ、小母ちゃんを守って頂戴」「小父さんは意思薄弱で困るわ」「私のことまだ切れていないと分かれば、あんた、ほっぽり出されるわよ」「さー握手しましょう、それで終りにしましょうネ」「ダメ、もう指一本触らないの――指きり」
 私は土間の入り口から、雪の中を駅の方へ去っていく二人の後姿を見送った。この夜十時ごろから猛吹雪になった。・・翌日その雪に覆われた田んぼでお美津さんと旦那の新庄は凍死体で発見された。この二つの死体は2000mも離れたところで発見された。
 私は土間の入り口から、雪の中を駅の方に去っていく二人の後姿を見送った。この夜、
十時頃から猛吹雪になった。・・翌日その雪の覆われた田んぼでお美津さんと新庄の二人の凍死体が発見された。この二つの死体の間には2000mの距離があった。
村ではこの二人の凍死事件について、いろいろ噂された。合意の上での心中ではないか、お美津さんが無理心中に巻き込まれたのではないか、等であるが一般的には二人は罰が当たった、という意見が有力であった。
それから三十年が経過し、私の記憶の中でもお美津さんは遥かに遠く小さいものになっていた。そんな中、二人の死の意味が、突然私の心の中で、丁度夜空に打ち上げられた花火のような、ぱあっとある鮮明な色彩を持って定着したのは、実は最近のことであった。
 それはある登山家の本を読んでいて、リング・ヴァンデリング(環状彷徨)という言葉を知った時であった。登山家が一番警戒するのは、人間はまっすぐ歩いているつもりでも、
同じ所を中心として、環状に彷徨し易い、ということであった。これを読んだ時、いきなり本を閉じて、お美津さんと新庄のことを思い出した。お美津さんはお美津さんで、新庄は新庄で、吹雪の中を迷ったに違いない。私は新庄とお美津さんの二本の指が絡みあった上に乗せられた小さな自分の手を思い出す。しんしんと吹雪く雪の中を、それぞれの半径を持って、それぞれの方向へ廻っていたに違いない二つの愛情。
 花ある岩場・・「氷壁」のような山岳小説。場所は上高地から前穂高、奥穂高、涸沢岳、
北穂高、等である。そこに働くポッカ(登山荷物運搬人)の老人と彼が気の合う若い登山家の二人が主人公。ポッカの野本徳治は六十二歳である。最近の若い登山家は老人の徳治を無視する傾向にある。彼はのっそりした感じで、言葉も少なく、山の案内人という感じではなかった。いつか彼のニックネームは河童になっていた。頭頂部は毛髪が少なく、皿のように見えるし、手足は細くガリガリしているので、その名がついたものと思われる。
 オーイ! カッパのおっさんと呼ばれていい気はしない。しかし、そうは言っても、やはり若い人たちに気軽に呼ばれることは止むを得ない事として受け入れている。しかしその中でも、若いのに言葉遣いもキチンとしていて、徳治を対等な扱いにし、また山が本当に好きであるように見える重宗時也が好きである。徳治に言わせれば、重宗時也は、山に入ってから三十年の間、ろくでもない人間にばかり出会ってきたが、僅か十人ほどだけは大した人間がいたが、その一人に入るという。
 物語はこのポッカである徳治が山の名ガイドではないが、僅かに十人ほどの大した者たちがどんな人物であり、彼がその人たちとどんな交流を持っていたか、説明していく。その多くは大学の偉い先生で、地理の先生や植物の先生である。徳治によって彼らは山の案内や珍しい植物の発見をさせてもらっている。彼は大学の先生たちにたくさんの感謝状や感謝の手紙や葉書を大切に持っている。徳治は自分から若い人たちに進んで山の話などしないので、学生などオイ徳、などと呼び捨てして平気であるが、重宗時也は植物の名前や性質など、かなり詳しく聞いてくるので、これには丁寧に答えていて、これなど時也を好きになる原因であると思われる。
 山の美しい様子や隠されたポッカ・徳治の優秀さを説明しつつ、あの名作「氷壁」のミステリーが漂ってくる。重宗の恋人と思われた女性が最近結婚するという。徳治もいつかグループでやって来た時その女性を見ている。結婚できたら理想的なカップルであろうと老ポッカは感じていたので、今年の重宗のどこか寂しそうな様子に合点が要った。そして、独身最後の旅行として、彼女は重宗を追って山にやって来た。
 重宗、徳治、そして彼女の三人は穂高の稜線を踏むために出かけて行った。
そして、遭難、彼女の滑落死。徳治は彼女が滑落死するとき、その彼女が踏みはずした石を、そしてその前に重宗がその石を踏んでいる事も見ていた。・・・・・・・


徳治は自分の好きだった生物学者の為にシコタンハコベラとバラが咲く群生地を共に誰にも教えていなかった。そこにこの遭難した場所を加える事にした。


 楼蘭・・往時、西域には楼蘭と呼ばれる小さな国があった。この楼蘭国が東洋史上にその名を現してくるのは紀元前百二、三十年頃で、その名を消してしまうのは同じく紀元前七十七年であるから、前後僅か五十年ほどの短い期間、この楼蘭国は東洋の歴史の中に存在したことになる。今から二千年ほど前の事である。・・こんな書き出しで始まる井上靖得意の西域ものである。二十七頁になるから薄いが文庫本1冊になる、短編では長い方になる話しである。楼蘭の歴史は「歴史の教科書」のような内容で詳しくはあるが淡々と書かれていて、五十年間とはいえ、紀元前の出来事(楼蘭の歴史)が長く、長く感じられるような描写で綴られ、読み終わった時は正直長い歴史に付き合ってしまった、という実感である。日常生活のこまごまから解放され、ひと時の間歴史に遊ぶというのだろうか、歴史のロマンという言葉が、自然と脳裏に浮かんでくる作品である。

 川村権七逐電・・時代は戦国時代、豊臣秀吉が甍じた後の出来事である。川村権七は人並外れた大きな体と、同じく人並外れた大きな目玉を持っていた。そのうえ彼は無双の体力と少しの事ですぐカッとする癇癪(かんしゃく)とを持っている二百石取りの若い武士であった。容貌は魁偉で壮年に見えたが、年齢は若くまだ二十歳をどれ程も出ていなかった。この理性や上品さとは程遠い荒武者が自分で名乗りを上げたとはいえ、領主の奥方を戦場にある敵地から連れ出す役割を担ってしまった。そして唯一人、屋敷に侵入する事に成功した。
 内室は部屋へ入ると二人の女中に座を作らせ、権七の上手に座ると「権七とやら、遠路ご苦労なことでした」、「は」と平伏すると、そのまま、権七は顔を上げる事が出来なかった。自分の大きな体が小刻みに震えていて、それがどうしても止まらないのを感じていた。「権七苦しゅうない。顔をお上げ」 頭の遥か上の方から室の声がした。「は」権七は暫くして上体を起こしたが、体の震えはどうしても止まらなかった。権七は生まれてから今まで、これほど美しく、高貴な女性を自分の眼の前に見たことがなかった。権七が一言も口から言葉を出さなかったので、室は三度声を発した。「何とか、お言いや」、「は」権七はまったく上の空で言葉を口から発していた。そして、時々鈴の音のような声を耳にしていた。それはまったく鈴が鳴るとでも形容する以外に表しようがないものであった。が、そのうち、権七はふと、それが眼の前の室の笑い声であることに気付いて、はっとした。
 緊張するなか自分の任務と、どのようにしてこの屋敷に侵入出来たかを一息で言ってしまうと、権七はホッとした。「なるべくなら死にたくはありませぬ」と室は澄んだ声で言った。「それはそうでございましょう。しかし、このお屋敷にいる限り絶対に死を避ける事が出来る、とは申し上げられません。しかし、若しどうしても死ぬのがお嫌なら、権七がお供してこのお屋敷を抜けだします。その時は舟に乗るので、魚の網の下でしばらく辛抱して頂かなくてはなりません。それがお出来になりますか?」と権七は言った。「魚の臭いのする網の下に隠れる事は、おお!嫌」「ここにこうして居りましょう」・・・・・・・・・

 どうした運命のめぐり合わせか、戦場で死ぬこと以外に考えてこなかった権七に、合戦に参加できる機会はやってこなかった。そして、合戦が一段落してその行賞が行われたが、彼には充分な行賞はなかった。「なんだ、これは」権七は傍若無人な言葉を吐いた。彼は禄高のことより、大阪の地を離れ、再び室の顔を見る事が出来ないことが耐えられなかった。
そして、逐電した。・・・・・・・・・・・
十数年後、権七は旧藩主の危機的立場を知り、また戻ってくる。この時の彼の言い分はこうである。「拙者、逐電したのは禄の加増に不服があったからではない。物の怪が憑いた為である。しかし、十五年間の荒行のため、これを落とす事が出来た。」いったいその物の怪とは何かと問うと「それは仔細あって、お話する事は出来ない」ということであった。
彼の体はその右腕をまくって見せると、金火箸のように細く、しかも人間の肉体とは思えないほど硬くなっていた。領主はこれを労わり大切に扱った。そしてついには家老にまで出世して伊予の国では八千石を賜った。しかし、権七の口からはついに室のことは一言も出なかった。作者はその後の室と権七のことについて何も記載していない。

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