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井上靖全集 第2巻

 澄賢房覚書・・私は十六年ぶりに、紀州高野山に登った。学生の頃は専攻が美術史であった関係上、何度か登ったことがあったが、学生の頃なので定宿もなく、その時任せの寺院宿坊に泊まっていた。


 そして偶然にも大学時代の友人である吉村嘉章氏に出会う。彼は密教の研究においては既に一方の権威になっていた。また偶然が重なり多少そこに奇異な気持ちがしないでもないが、吉村氏の住んでいるR院の書斎で古い日記(古文書)を手の取りその中に、二枚の紙片が挟まっているのを発見する。


 その一枚は「十月二十四日 親王院への途次、澄賢房に会う、」とありもう一枚には「十月二十六日 大門より二里の山中に、見かけぬ老人、凍死せるものあり・・」と書いてあった。この一枚目にある、澄賢房とは私が学生時代、ある古書店の書棚の一隅で背に「般若理趣経俗詮」という墨の細字で認められた和綴じの書物を見かけ、別に大して深い意味もなく、その頁を繰ったのである。しかし本論の書き出しが「若年の日、年頂(塾頭)より下山申しつけられ、高野山を去りてより、・・その間、欲触愛慢破戒無慚の旦夕に身をゆだね来たり、・・」と親鸞を思わせるような経験の持ち主があの難解な理趣経を民衆の感覚で解き明かしたという書物である。その筆者が澄賢房であり、私は学生時代に卒論の合間をみて、この筆者が如何なる人物であるのか、調べた事があった。


 大まかな事は調べられたのだが、やはり彼はとんでもない破戒僧であった。高野山の修行中におれんという酌婦に惚れて、その女のもとに毎日通ったとか、女を高野山に引き込んだとか、それにより年頂からお山を追放されたようである。また下山した後にも、彼の不評判は続いていた。俗世での澄賢房とおれんとの生活は相当烈しい情痴の世界が繰り広げられていた。そして澄賢房は紀の川に身を投げ自殺したようだが、死に切れず橋本(土地の名)の男によって、橋桁に引っかかっているところを助けられた。無様な様子である。


 澄賢房の生涯は凡そこのようなものであったが、晩年についての手掛かりは調べられない内に私の生活の変化から関心が薄れていった。しかし私は「般若理趣経俗詮」の著者とこれらの人生の間にどういった繋がりがあるのか、もう一つしっくりしないものがあった。


 


 しかしこの偶然の重さなり(前出)により吉村家の書斎の古文書から見つかった、二枚の紙片が私と澄賢房とを結びつけた。この事に学会の権威である吉村氏は「不思議な事があるものですね! 何にしてもその澄賢房という僧侶はやはり貴方に自分の晩年を知ってもらいたかったのでしょう」としんみりした口調で言った。


 


 この紙片に書かれた文章の書き主は吉村氏によって、明らかになった。彼の調査と推量によりおそらく明治時代の高野では匿れた聖僧といわれる宏栄(こうえい)という人であると分かった。彼は権大僧正になり又、大阿闇梨として明治四十四年七十七歳の高齢で遷化している。事実はこれだけである。私は吉村氏が発行人になっている、小さな同人誌のような冊子に“高野山に帰ってきた澄賢房”という題で三十枚程の一文を草した。


 


この文章は読者の為に取って置きます。その感想であるが、実に人間の思考や感情の機微にふれる、素晴らしい内容です。と言おうか井上氏の独壇場とでもいうか、これぞ井上ワールドというものでしょう。これからも何度同じ事を私は書かなければならないでしょう。もっと私に文才があれば別なのだが。


宏栄と澄賢房の対話の場面である。この大阿闇梨はその地位を極め、今は穏やかで何も懸念のない人生を送っているのであろう。長い間の禁欲から解かれ暖かい部屋でおいしい物を食べている。澄賢はこれを宏栄に見せる為にのみ書いてきたであろう「般若理趣経俗詮」を包みにして、傍らに持参している。彼の気持ちを述べたいのだが、言葉が上手く相手に伝わらず、しかし僧侶はしっかり頷き聞き入っているのだが、心の奥底にまで達しない歯がゆさを感じていた。「わしは、二十年以上理趣経の勉強を続けてきましてな!」そう澄賢は口を開いた。「あらゆる誘惑を遮断された高野の山で一生不犯に生きた人間の理趣経の解釈ではない」と言いたかった。しかし宏栄との話しはすれ違った。決して否定するものではなかったが、もはや宏栄は澄賢と真正面から議論するつもりはなかったようである。


「仏の教えというものは、これまた深いものでな、その勉強はいつ終わりがくるものでない。勉強をすればするほど、その深さが分かってくる。」「それはいい事をなすった!いずれの麓から上がるも、峰は一つじゃ、あんたの書きなすった事を誰が知らなくとも、誰が読んでくれなくともいい。お大師さまはよくご存知じゃ」


 彼はとうとう持参した理趣経の現物を出しそびれてしまった。そして暖かく送り出してくれた宏栄を背にして、放心状態のままふらふらと雪の中を帰途についた。しかし帰るべき宿坊とは反対方向であることも、気が付き何度も引き返そうと思いながら、どんどん山中に迷い込んで行った。


 二枚目の紙片にある内容を私はここで結びつけた。宏栄は「見かけぬ老人、凍死せるものありとの評判、行き倒れか不明という。亡者の心知る能はず、不哀。終日心重し、光言念誦、回向申し入る」と。

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