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井上 靖全集 第3巻

 家に戻ると私は石鹸を持って、この気持ちの悪さを払拭するべく、川原に下りて行った。水の中で石鹸はスルリと両手から抜け、手元から離れていった。なんという不運続きだろうと私は忌々(いまいま)しく思った。しかしこの二日間で経験した如何なることよりも石鹸の逃亡は私には烈しい衝撃であった。この衝撃によって、この二日間の出来事は何か重大な錯誤を自分は犯しているのではないか、という思いに駆られた。石鹸の逃亡もさることながら、私はうっかりして自分が考え落としているものを、今こそ考えなければならないような、思いに迫られていた。そして、その思いをじっと一点に集めて、其処に立ったのだが、ふいに私はその考えなければならない正体が、はっきりとして心の中に蘇ってくるのを感じた。昨日から今日にかけて私を廻って起こってきた事件が、まったく違った意味を持って、私に襲いかかってきたのである。ああ、何もかもが俺から逃亡していると思った。もう二度と決して戻ってこない妙にふてぶてしい遠ざかり方で何もかもが私を置いてけぼりにして、遠ざかりつつあると思った。それは迂闊にも今のいままで私が気付いていなかったこの二日間に私を見舞った、幾つかの事件の意味であった。


石鹸を失ったことに依って、それが一度に点火されでもしたように、昨日から今日にかけて起こった多くの、どこかまともでない事件どもは、私を川面に漂う夕明かりの中の一箇所に思いもかけない寂寥感と共に居竦ませたのである。


 私はその時石鹸の消えていった水面を見ながら、死ぬ以外、如何なることももう自分には残されていないと思った。私の足は確かに人生の途上で、何か重大なステップを踏み外しているに違いないのであった。死ぬ以外にもう取り返しのつかないような――。私は次の瞬間、水の面に突き刺さるような妙な格好で水の中にのめり込んでいったのである。


 


 自分の存在を否定するような幾つかの不幸な事件、それらが意味するものは、自分の存在が如何に儚いものであるかを示している。ぼんやりと感じていた自分の存在、人は大なり小なり、このような経験をするものです。しかし、毎日の忙しさや感覚の麻痺(鈍さ)などのより、人の心に長くは留まらないものです。私もこのような出来事をよく夢の中で経験します。何年も受験勉強をしているのに、気が付いたら受験手続をしていないことが分かったのです。この勉強してきた時間はどうしらいいのでしょうか。あるいは小さい頃からやってきた生活習慣が今になって、現代医学により決定的に悪い病気に導く習慣であった、というものです。気付いたときには既に取り返しがつかない出来事。そんな事を自殺を決意した人は感じるのでしょうか。


 


かって日本の文学青年はその鋭くガラスのような感覚から、庶民にとっては愚かと思える行動で、自殺したものです。 現代はこの鋭利な感覚ではなく、瞬間に、考えなくプツンと糸が切れるように自殺したり、他殺したりしているような気がします。そしてその糸がどれ程緊張に強く張られた後に切れるのでしょうか。


 

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