みどりと恵子・・夫が出張で、伊丹から飛行機で九州へ立った同じ日の午後、みどりは留守を女中のみよに頼んでおいて、登りの急行に乗った。岐阜に着いたのは四時だった。駅の観光案内所で聞いて、一番いいというホテルを教えてもらい、自動車を走らせた。その日は丁度長良川の鵜飼の日であった。長良川に架かっている橋を渡るとき、ふと、ここで昔の恋人である結城からフランスの有名な詩人の詩を教わったことを思い出した。詩句は忘れたが、水の流れは時々刻々流れてやまないが、古い橋だけは変わることなく、いつまでも同じ所に架かっているといったような意味であった。
何故同じ日に夫婦別々に旅行に出かけたか、という理由がみどりによって記された封筒による手紙で、明らかになる。わたくしは、貴方もよくご存知のように、五年前貴方と家庭というものを初めて作りますまでは、さんざん勝手なことをしております。好きだとか嫌いだとか、寄ると触ると言いあっている息苦しい生き方に疲れて、貴方とならもっと落ち着いた静かな生活が出来ると思いまして、私として初めて人並みの世の女の椅子に座ったつもりでしたが、結局はそれも駄目なようでございます。
今度の貴方の恋愛事件は、率直に考えますにその責任の一端は私にあるものと思っています。それは最初の恋人結城はまだ新進の画家であり、私は二十歳の画学生でした。以来多くの男性たちとの付き合いは続き、結局最後は今の夫、小柳卓三とはみどり(私)が勤めていた酒場の経営者からの紹介により結ばれたものです。
独身時代に最も精神的な影響を受けたのは、やはり最初の恋人である結城であった。
皮肉にも夫卓三の浮気相手は元恋人の結城の娘恵子であった。結城のみどりと恵子に対する姿勢はまったく対照的なものであった。つまりみどりに対しては絵画という共通な事柄からか、自分を強く出す生き方あるいは積極的で奔放な生き方を勧めていた。しかし一方の娘恵子に対しては、慎ましく控えめで堅実な生き方を勧めていた。
だから、そのような生き方の中で恵子が本当に夫卓三を愛し、卓三もまた恵子を愛しているなら、自分は身を引いてもいいのではないか!そう思った。
このような状況の中で、一人昔の恋人の面影のある岐阜、長良川で別れの手紙を書いているのである。
ホテルから少し上流の対岸には既に何十艘もの屋形船が集結していた。遊覧船は全部そこに集まり、上流から下ってくる鵜飼の舟を待つということである。右も左も華やかな酒宴が開かれ、自分ひとりが舟を一艘占拠して、所在なくしていることが恥ずかしかった。
鵜飼の最初の篝火の赤い火が上流から見えた時は、九時を少し廻っていた。それから六艘の鵜飼舟が下ってくるには、更に半時間近い時間がかかった。既に観光客が去って行ったあとで、本漁の攻めというものがあった。老人の漁師によると、これこそが本物の鵜飼であり、それまでの物は観光のための物だという。上流からやってきた六艘の篝火はかなりの速度でやって来て、あっという間に漕ぎ去っていった。舟の舳先につけられた篝火が川面を嘗めながらの一瞬の景色であった。
ホテルの近くまでは行けないということであった。昼間自動車で通った橋の近くまで、下って行った。その時、昼間忘れていたアポリネールの、水は流れて橋は残るという“ミラボー橋”の詩句の最初の一行が、みどりの心にふとはっきりと思い出されて来た。
この作品は最後の幻想的な景色が頭に描けなければ、興味は半減してしまうと思う。
私(筆者)は、この暗闇の中赤々と燃える篝火の美しさを充分に想像出来ていない。だからアポリネールの詩も結城とみどりの恋も充分には理解出来ていない。映画なら文句なくこの最後のシーンが全体を引き締め、恋の切なさや不条理や人生の諦観も味わえるのではないか?そう思った。
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