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井上靖全集 第6巻

井上 靖全集 第6巻
神かくし、ある交友、故里の海、梅林、ハムちゃんの正月、とんぼ、凍れる木、
洪水、面、冬の来る日、街角、馬とばし、春の入江、北国の春、狼災記、考える人、補陀落渡海記、海の欠片、ローマの宿、小磐梯、訪問者、晴着、岩の上、
菊、故里美し、色のある闇、フライイング、加芽子の結婚、古い文字、裸の梢、
夏の焔、明るい海、見合いの日、別れ、明妃曲、あかね雲、僧伽羅国縁起、土の絵、監視者、塔二と弥三、ローヌ川、富士の見える日、冬の月、眼

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街角(子供たち)・・お見合いを四回か五回経験した、中年に近づいている女性の話である。
 世間慣れというか見合いなれというか、その日も朝は九時まで寝ていて、母親から「変な子! お見合いの日というと、決まって寝坊するんだから」と言われてしまう。しかし、とき子は何も格好つけているのではなく、見合いの時間は二時であるから貴重な日曜日を存分寝て居たいだけである。美容院に行くためバス停に行くと、そこで思いもかけず中越幹也に出会ってしまった。中越は六年前とほとんど変わっていなかった。違っているのは彼が、二、三歳の幼児を抱き、双子と思われる五、六歳の女の子二人を連れていることだった。まさか三人もの子供の父親になっていようとは、今のいままで知らなかったことだ。

 とき子は何回かの見合いに対して、それぞれ仲に立つ人をわずらわせ、その度に家の内部も何かとざわめいていた。だからいくらとき子でもひやかしの気持ちで見合いをしているはずもなく、だがしかし、自分の心の内側を探ってみると、いつの見合いの時でもやがて行われるその未知の男性との対面が、決して自分のこれからの人生を決定するものではない、という気持ちの動きがあることは事実であった。

 中越は以前のように、櫛を入れない無造作なオールバックの頭髪も、五尺八寸の長身も、雰囲気として姿態の持っている、どこか鶴を思わせるような弧高な感じも、六年前とき子が親しくしていた頃と少しも違っていなかった。しかし、彼の妻らしい女性の姿は見えなかった。後からの話で、当日妻は同窓会出席の為三人の子供を彼に預けていたという話であった。・・・この双子の姉妹は元気がよく、父親の言うことを少しも聞かず、あっという間に一人の子が行方不明、迷子になってしまった。かれは慌てて抱いている幼児と一人の娘をとき子に預け、街中を、娘を探しに奔走することになる。

 ドタバタ騒ぎは交番のお巡りさんも巻き込み、大騒動に発展。無事娘が発見された時は十二時近くなっていた。「では、私はこれで失礼します」「そうですか、大変いろいろお世話になりました。」 とき子はセットを諦めて、すぐ帰る為に少し行ったところで空のタクシーの来るのを待った。とき子は何物かが自分から落ちるのを感じていた。長年自分の身についていて、自分から離れなかったものが、中越と再会したことによって、自分から落ちた気持ちだった。美容院に行かないでこのまま家に帰ったら、母が心配するだろうと思われたが、そんなことよりとき子の気持ちは妙に明るく膨らんでいた。すっきりした思いだった。とき子は美容院に行かない自分の顔を、見合いする相手に見せようと思った。その上で自分も気に入り、相手も気にいれば話をまとめてもいいという気になった。今までの見合いの時とは、今のとき子の気持ちはまるで違っていた。・・・・・・・・・

結婚前の女性の心理をよく表している。何と言うものでない、微妙な心の襞というものだろうか?言葉でなくストーリーで表現している。内容の説明が長くなっているが、ここまで書かなくては、充分伝わらない。やはり彼女に取り付いている何物かはこのストーリーの中にあって、そこで初めて意味のある言葉になる。蛇足の蛇足であるが、靖先生は大胆に、こう書いている。とき子は中越が抱いている幼児に対して、「可愛らしいわ」「ええ、二つです」それから「こちらも?」「ええ、双子でして」「双子とは可愛いものですよ」・・いい気なものだ。六年ぶりに合った昔の恋人に、娘の自慢をしている。中越の腕の中で幼児はエビのように体を反らし、余り可愛いとは言えない。また足元に眼を落とすと、この双子の姉妹も可愛いとは言えない。中越に似ていたら、目鼻立ちが整っていなければならないはずだ。鼻は低く、眼は少し釣りあがり気味で、唇もむくれており、顎も張っている。
ここまで書かなくとも。子供なんだから。しかしこうまで書かなくては、何ものかは分からない。昔の恋人が、所帯じみた様子で自分の前に立っている。子煩悩の父親を演じている。あの孤高な、ストイックな男が何さ。でも自分が好きになった男を余り卑下したくない。そこであの双子の娘の顔は嫁さんの顔だ!と決め付ける。もう本当にどうしようもない。これなら何物かは落ちるはずだ。元々結婚はタイミングと言うネ。二人の相性などでなく、今二人がどんな精神状態にあるのか、が大事。もっと言うとどれだけ現実的になれるのか。若い頃の夢の実現でなく、自分のような者(小さい自分)にとって、相手がはたして応じてくれるのか、と悟ることから始まるのが結婚だ。

又話がずれるけれど、最近の結婚情況は厳しいらしいですね。どんどん晩婚化しているけど、当然の気がする。我々が若いときは、「由美かおる」の同棲時代(?)という映画
が流行したのはそれが珍しいからで、今のように当然行われているような時代では結婚の予行演習をやっているようなものだ。たしかにそれは都合のいいことで、同棲しなくては分からない事も沢山ある。だから自分の経歴を複雑にしないためには良いことかもしれないけど、別れ易くなり余り我慢する必要もなくなってしまった。前述のように結婚などタイミングだと喝破した人は、また簡単にホームインが上手くいく状況が廻ってくるという訳だ。ここまでは老人の繰言。

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